Black Saturday

2月7日、土曜日、ビクトリア州では観測史上最高の46.4度まで気温が上がりました。強風もあり、ここ数年の雨不足で乾燥しきった大地、山火事のおきやすい最悪の条件がそろっていると警戒されていました。

そして、その日、ビクトリア州で、オーストラリア史上最悪のBushfireが起きました。
10日たった今も、まだ6箇所で燃え続けています。
今のところ人家への脅威はないとはいえ、気候が変わればどうなるかわからない状態です。

死者の数189名、まだ生死の確認ができていない人がたくさんいます。
つまり、完全に焼けてしまっていて、DNA鑑定すらしようがないということだと思います。
最終的には死者の数は200名を超えるだろうといわれています。
助かった人は文字通り、着の身着のままで焼け出されました。
焼失した家、1800軒以上…
小さな町がそっくり焼けてなくなってしまったところもあります。

メルボルンの中心部に住んでいるものには被害はありませんでしたが、連日のニュースで報道される被害のすさまじさには心が痛みます。

それでもこの悲惨な災害を通じて、オーストラリア人のMateship,助け合い精神の強さにはとても感動しました。

火事の直後から山のような衣類や毛布、食料品の寄付が集まり、寄付金の額もあっという間に1億ドル(1ドル60円で換算して約60億円)に達しました。

大手のスーパーマーケットも回りもちで、特定の一日の収益をすべて寄付しています。

大規模な洪水の被害のさなかにあるクイーンズランド州の人たちも、ビクトリア州の被災者は自分たちよりもっともっと大変なんだからとさまざまな助けを差し伸べています。

人間だけでなく、火事の被害にあった野生動物、家畜、ペットにも忘れられることなく援助の手が差し伸べられています。

後にサムと名づけられた野生のメスのコアラ、火災発生から2日目のくすぶる山の中をさまよっていて消防士に救出されました。
消防士の差し出す手に自分の前足を乗せ、ボトルに口をつけごくごくと水を飲むサムの様子は、この悲惨な火事の中で、人々の心に暖かい思いをともしました。
コアラのサム
ちなみに、サムは現在ボランティアの人のもとで足のやけどの手当てを受け、同じところにいたオスのコアラと仲良くなって、元気に回復に向かっているようです。

消防士の方たちの勇気と奮闘振りには心から敬意を表します。
消防士には多くのボランティアの方もいます。
自分の家が燃えていても、自分の携わっている消火活動を続けた人もたくさんいるそうです。
疲れ果てた消防士の救援に他の州、ニュージーランドやアメリカ等、海外からの消防士の応援も駆けつけています。

被災者の方たちが、元のような暮らしに戻るまでには、多くの援助がこれからいっそう必要になってくると思います。
オーストラリア赤十字は政府と共同で募金活動を続けています。
手数料は一切取らず、全額被災者に届けると約束しています。
寄付のできる方は、下記のリンクからお願いします。

寄付をしたい方はこちらへ


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メルボルン メルティングダウン

メルボルンは今100年ぶりの猛暑にあえいでいる。
昨日は43度、今日は地域によっては45度に達しとところもあるらしい。
明日も今日と同様暑いだろうとの予想

熱で線路がゆがんで電車はいっぱいキャンセルになるし
電力カットのために一部の地域では停電になったところもあった。

私は休みで家にこもっていた。
窓もカーテンもブラインドもびっちり閉めて
めったにクーラーは入れない私だけど今日は入れた。
電気節約しなくてはとクーラーは28度に設定して、それでも涼しかった。
一歩外に出るとものすごい熱波が襲いかかってくる感じで
犬のMikiも外に出たがらなかった。
洗濯物はさすがに干したと思ったら5分後には乾いてた。

メルボルンでは今全豪オープンテニスの真っ最中
基本的には野外での競技
この猛暑の中でプレーを繰り広げるプレイヤー達
人間の体ってここまで鍛えることができるものなのかと感動した。

明日もう一日の我慢
その後は35度まで下がるらしいから…
でも35度も暑い…
秋が待ち遠しい!

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オバマ新大統領就任式

オバマ新大統領の大統領就任式が行われた。
オーストラリアでは午前3時から生中継で放送された。
アメリカ初の黒人大統領
恐れではなく希望を選び、争いではなく団結を選び、アメリカという国を作り変えていこうと、力強く就任の演説で語った。

アメリカという国を好む好まないにかかわらず、この国の政治が世界に与える影響は大きい。
終わりのない戦争
アメリカの経済政策の失敗によるサブプライムローン問題、世界的金融危機、世界的実体経済の危機
日本のニュースで多くの人たちが職を失い、住むところも失い、食べるものにも事欠く状況と聞くと胸が痛む。

私はアメリカという国をとことん嫌いになっていたけれども、アメリカ国民が、政治のChangeを求めて、イラク撤退を公約する黒人であるオバマ氏を選んだとき、アメリカと言う国も捨てたもんじゃないなという気がした。

このオバマ新大統領の就任式を見るまでは絶対生きるんだと言っていた患者さん、アンは、残念ながらその前に命尽きた。
81歳のカナダ生まれの彼女は、末期の肺がんとCOPDで入院していた。
気丈な人で、トイレに歩いていくだけでもひどい呼吸困難になるのに、援助を拒んだ。
レスキューの薬剤も、ナースが提案するものを全部は受け入れず、自分がどうしてもいると思ったものだけを取った。
私たちから見れば、薬でもっと楽になれるのにとは思ったけれども、彼女は最後の最後まで、コントロールを失うことなく、彼女らしい尊厳を保って亡くなった。

オバマ新大統領の前途は容易なものではないけれども、アンが守護天使の一人になって見守って行くのかもしれない。


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雨乞いカッパ

11月の第一火曜日
今日はオーストラリアの国民的行事であるメルボルンカップの日
老いも若きも、健康な人も病気の人も、ギャンブル好きも嫌いな人も、競馬のことを全く知らない人も
この日ばかりは1ドル、2ドル、5ドルとかかけて楽しむ
別に馬券を買わなくても、職場で少しのお金をかけて、自分たちで配当を決めて楽しむ

私は職場で一口5ドルのを二口賭けたのに、私の馬は2頭ともレースに出ないことになって残念!走らなかったのだからお金は戻ってくるので、負けるよりはよいか…

メルボルンカップを過ぎるとこれからは本格的な夏
メルボルンの貯水池の水量は水不足だった昨年よりもさらに低いとか

雨が少しでも降りますようにと願いを込めて
雨乞いカッパのデザインでBlog更新です。

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勤務表作り

お久しぶりです。

今日は、ナースのベストセラーとか言われる勤務表のお話(いますよね。何回見ても変わるわけじゃないし、休みが増えるわけでもないのに、仕事に来るたびに、勤務表に見入っている人、毎回、新たな発見があるらしいですよ。)

ナースの皆さん、皆さんの職場ではナースの勤務表はどのように作られているのでしょうか?

私の職場では4人いるANUM(アソシエイトナースユニットマネージャー)が交替で作っています。

ベッド数14床、ナーシングスタッフはフルタイム、パートタイム合わせて20名、簡単そうだけど、担当になるたびにうんざりします。

こちらでは勤務日数の50%までは希望を出していいことになっています。しかし、現実には皆が、全体のことも考えず50%希望を出すと、シニアとジュニアのスタッフが適当にミックスした勤務表を組むことは不可能になります。だから,どうしても受け入れてほしい希望を赤字で記入し、できれば希望というのは黒字で記入ということにしています。それでもどうしても休みがほしい人が同じ日に集中すると勤務が組めません。誰かにはあきらめてもらわなければなりません。

こうした苦労を解決するコンピューター化した勤務表の導入がされるかもしれないという話があります。

これによれば、どの日もバランスよく配置されたスタッフでカバーできるというのですが…

勤務希望は一切受け入れず、どうしても都合が悪くて勤務を交代してほしいときには、交替によりバランスに崩れが生ずるのでその一勤務だけでなく、全部のラインを交代してくれる人を探さなければいけないということになるようです。

すでにこのシステムを導入した病院があるけれども、ナースが嫌って常勤を辞める人が続出とか…(>o<)

うちの病棟は現在でも希望は多いし、途中での勤務交替希望も多いし
いずれも可能な限りは希望に応じるようにしていますが

希望や交替がスムーズに行かない勤務表が導入されれば、こちらのナースは黙って我慢することは絶対ないでしょうから、大変なことになるのは目に見えています。

結局、私が勤務表を作る作業から開放されることがないことはほぼ確実

さあ、どうなるでしょうか?

続報お楽しみに!?

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終わることは、始まること

昨夜、現在の職場に来る前に10年近く働いていたホスピスの仲間と再会した。ホスピスが閉鎖になることになり、過去に働いていた人たちも含めて大勢が集まって、Wake(お通夜)と称して、そのホスピスが長年地域に貢献してきた事、多くの人々の力でここまでこれた事、一緒に働いて、泣いて笑って、たくさんの忘れられない思い出を共有した事、そのホスピスの終わりを悲しむよりは、私たちが輝かせてきたホスピスの命を祝おうと言う事で集まったのだった。

どうして閉鎖になることになったかと言うと、これはビクトリア州政府の緩和ケアサービス改善の政策の一環といえる。私がオーストラリアにやってきて、ホスピスで働くようになった頃には、メルボルンには100床近いホスピスが市の中心部に近いところに二つあるのみだった。

誰でもどこに住んでいても、スムーズに緩和ケアサービスが受けられるようなサービスシステムの改善が必要であった。在宅緩和ケアサービスはビクトリア州内のどこに住んでいてもアクセスできる状況が整ったが、在宅ケアをバックアップする入院緩和ケアサービスへのアクセスは地域による格差が大きかった。

患者さんが住んでいるその地域に適切に緩和ケア入院サービスを配置していく、その政策が進んで、大型ホスピスのベッド数は削減し、郊外に新しい緩和ケア入院設備が整ってきた。

この度又、メルボルン北東部に新しい緩和ケアユニットがオープンし、同時に私の前に勤めていたメルボルンで最も長い歴史を持つホスピスの一キャンパスは閉鎖となった。

もとの同僚たちにとっては職場を失うことはとても大きなストレスだが、それぞれ話を聞くと、皆、新たな仕事先を見つけ、新たなチャレンジに向かって生き生きしていた。別の緩和ケアユニットに移った人、在宅緩和ケアサービスに移った人、急性期病院の緩和ケアコーディネイターのポジションで働く事になった人、高齢者ケア施設で緩和ケアの経験を生かした高齢者ケアのコーディネイターとして働く事になった人、様々だった。

ワインを飲みながら、懐かしい面々と語り合いながら、人の生き死にも、組織の生き死にも似通ったものだなあと言う感慨に打たれた。永遠に変わることなく続くものなど無い。人は老い、病気にもなるし、いずれは死を迎える。組織も、時代の流れに応じて変化し、消滅し、新しいものが生まれる。悲しい思いは自然な思いだけれども、悲しみに打ちひしがれるだけではなく、生きてきた命の輝きを認め、祝う、そして又新しい一歩を踏み出していく...

終わることはそれで最後になるということではなく、新しい何かが始まる事なのだと...

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ビクトリア州で9日間のナースのストライキ

少し遅くなりましたが、ビクトリア州で9日間にわたって戦われたナースのストライキについて報告します。

オーストラリアのナースのユニオン、ANF (Australian Nursing Federation)のビクトリア支部はナースの給与の改善、安全なケアの提供できるような労働条件の改善を求めて10月17日から25日までの9日間にわたってストライキを行いました。

ストライキに至るまでには、6ヶ月にわたって政府と交渉を続けてきましたが、何の誠意ある回答も得られず、この結果となったものです。

ビクトリア州のナースは、オーストラリアの中で最も低い給与で働いています。政府の出した賃上げの利率では、他州に追いつくどころか、ますます差がついていく、ナースの不足している中、他州と同等のレベルの給与になるようにと求めていました。

ビクトリア州は、前の記事ナース対患者の割合で紹介したように、患者の人数に応じての最低限のナースの数を下記のように規定しています。
日勤(0700-1530) 患者4人に1人のナース+師長もしくは代行
午後(1300-2130) 患者5人に1人のナース+師長もしくは代行
夜勤(2100-0730) 患者8人に1人のナース

ところがビクトリア州政府は、この割合を、なし崩しにしようと各病院状況に応じて定員以下で勤務させるようにと指導を入れてきています。

ナースの長い戦いの中でやっと勝ち取ったこの割合、オーストラリアの中でビクトリア州だけがこの基準を持っています。患者にとって安全なケアを提供するためにこの割合は崩せない、救急や周産期部門等、もっとナースの割合を高めるべきだ、又、高齢者ケア、緩和ケア、地方の小病院等のナースの数をもっと増やして欲しいとANFは要求を掲げていました。

ストライキは、

  1. 急性期病院の4ベッドにつき1ベッドを閉鎖する
  2. 手術の4件につき1件を減らす
  3. 在宅ケア、精神化ケア、高齢者施設のケアについて特定の行為を行わない

緩和ケアユニットはこの対象からはずされていたので、私たちは直接参加することはありませんでした。

ビクトリア州政府は(労働党政権なのに)、ストライキを行ったらナースの給与をカット、その上に莫大な罰金も払わなければいけないと脅し、病院によっては、管理者がユニオンのメンバーに嫌がらせをするなどの圧力をかけてきましたが、10月25日、ついに政府はANFの要求をほぼ受け入れ、ストライキは終わりました。賃金カットされて仲間へのカンパの相談もしていたのですが、それも政府のほうからでる事になり、罰金も無く、ほっと一息

賃上げは10月からの予定でしたが、事務手続きに時間がかかっており、来年になる予定、ちゃんと遡って支払ってくれるので心配はしていませんが、やっぱり直接手元に入らないと実感がわきません。

他州との差はすぐに埋まるわけではないでしょうが、多少は追いつき始めることになると思います。現在の給与では、もし私がお隣の州のシドニーに働きに行けば、年間の給与が日本円にして80万円ぐらい違うのですから、今回の賃上げで、別の州に行こうかと思っていたナース、働き口を探している外国からのナースや新卒のナース等を多少はこの州に引き止める効果があるかもしれません。

緩和ケアのナースの増員もまだ現在は従来の基準のままでやっていますが、事務手続き終了後はもう少しゆとりができる配置になれるかと期待しています。

日本からこちらの病院の見学に来られるナースの方たちは例外なくこちらの労働条件の良さを日本のそれと比べて羨ましがられますが、こちらのナースは、黙っていても何もよくならない、労働条件の改善はケアの内容の向上に密接に結びついているんだと、一つ一つ戦い取ってきたものです。

私がオーストラリアに来る前、1986年には、ビクトリア州で50日間にわたるナースのストライキがありました。この結果、下記のようなことを実現する事ができました。

  1. 看護教育を大学教育に一本化する
  2. 看護の業務から看護以外の雑用をなくし、クリーナー、病棟クラーク、配膳係り等それぞれ必要な人材を雇い入れる
  3. 患者対ナースの割合の適切化
  4. ナースの給与の改善

忙しく、残業の連続で疲れ果てている日本のナース、日本人ナースの方のお話を聞くたびに、ナースの労働条件とケアの内容が以下に密接に結びついているかを痛感します。

日本では医療崩壊が叫ばれていますが、オーストラリアも例外ではありません。より少ないお金でより多くのサービスを提供するようにというプレッシャーの動向はこれからも変わることは無いように感じます。

オーストラリアはこの度、11年ぶりに政権が交代し、労働党政権となりました。ヘルスケアシステムの改善はラッド内閣の優先事項の一つでもありますから、ちょっとでもよい方向に向けて動いていく絶好の機会となればと思っています。

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水の使用制限

今日は火曜日、早起きして庭に水をやる。6時から8時の間と限られているので寝過ごすとせっかく植えた花が枯れてしまう。しっかり根を張るまでは定期的な水やりは欠かせない。

メルボルンは水の使用制限がどんどん厳しくなり、今ステージ3Aの制限、どういう内容かというと、庭に水をやるのは週に2日だけ、偶数番号の番地の家は火曜日と土曜日、朝の6時から8時の間、水をやっていいのは花壇だけで、芝生にはやってはいけない。

オーストラリアは乾燥した大陸、年間の平均降水量も400ミリぐらいしかない。日本は1700ミリ以上、大雨の被害のニュースなど見ると、ああもったいない、どうして世界に平均して降ってくれないんだろうなんてため息が出る。

オーストラリアは昨今、特に雨量が減り、農業地帯は深刻な干ばつが続いている。羊や牛の飲み水も牧草も足りない。水の配分をどうするかは大きな政治問題でもある。

都会に住む人間も水の節約は深刻な問題、日常生活で様々な工夫をしている。

  1. シャワーの下にバケツを置いて、熱くなるまでの水を無駄にしないでためて庭に使う。
  2. 野菜や果物を洗った水は、ためて庭に使う。
  3. 洗濯機のすすぎの水はためて庭に使う。
  4. 雨水をためる大きなタンクを設置したり、台所、シャワー、洗濯機の水を下水に流さず庭用にタンクにためるように配管をする家庭も増えている。

私もせっせとシャワーや洗い物の水をためて庭の水遣りに利用している。じょうろが大活躍!

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緩和ケアの未来

忙しくて何と二ヶ月近くBlogをサボっていました。更新も無いのにBlogを訪れてくださった皆様、ありがとうございました。ぼちぼちとではありますが,更新再開します。

緩和ケアオーストラリアの学会ですが、非常にたくさんの刺激を受けて帰ってきました。自分のユニットだけで日常の仕事に埋没して過ごしていてはいけないなと強く感じました。

緩和ケアオーストラリアのプレジデント、モナシュ大学の緩和ケア教授、そして今大会の議長であったマーガレット オコナー教授のスピーチがとても印象に残りました。

彼女は緩和ケアの未来という事についての話で、私たち緩和ケアスペシャリストの仕事は、将来緩和ケアスペシャリストという仕事をなくすることだと、自分たちの仕事をなくすことだと語りました。

つまり、どんなに医学が進歩しても人は必ずいつかは死ぬ、死は避けられないけれども、苦痛な症状を徹底的に緩和し、全人的なアプローチでその人らしい尊厳を保った死が迎えられるように援助する、家族、友人に必要なサポートを提供するというのは、どの分野で働いているかに関わらず、ヘルスケアプロフェッショナルが学んでいくべきものです。

緩和ケアの思想、知識が普及し、がん病棟であれ、老人ホームであれ、在宅ケアであれ、あらゆる分野のヘルスケアプロフェッショナルが、死を生命の自然な過程として認め、必要なケアをそれぞれの場で提供できるようになれば、所謂緩和ケアスペシャリストというものは要らなくなる、そういう状況が、自分が失業する事が理想だと彼女は語りました。

マーガレットは、私が日本人ヘルスケアプロフェッショナルのための研修プロプラムのコーディネイトをしていた時、同じ施設で在宅ケアの所長として働いており、在宅緩和ケアについてのいつもいつもレクチャーの依頼をしていましたが、いつも快く引き受けてくれました。レクチャーの通訳をしながら、私自身、多くのことを学ばせていただきました。そのときにも、マーガレットは、緩和ケアスペシャリストナースなんていうものが要らない時代がきたら私はとてもハッピーだと言っていました。

あれから10年以上の歳月が経ちましたが、彼女はあの広大な理想を揺るぎなくみつめ続け、歩き続けて、今やオーストラリアの緩和ケアのリーダーになったんだなと感慨深い思いがしました。

実際、オーストラリアの緩和ケアは、少しずつではありますが、マーガレットの理想とする方向に向いて動いているように思います。

多くの人の最後の時を迎える場所であるナーシングホーム、そこでの個々の希望をを尊重した、尊厳ある死を迎えられるようなケアのアプローチのプロジェクトが進んでいます。

ホスピスムーブメントの産みの親ともいえるシスリー ソーンダース女史も、同じような事を著書の中で述べています。

現代医学は進歩し、医療者は患者の死をまるで自分たちの失敗のように感じ、どう対応していいのかわからず避けて通っている、現在のヘルスケアシステムの中に緩和ケアを導入する事は難しいので、主流から外れてホスピスを始めるけれども、いずれは、医療の主流の中に当たり前のものとして緩和ケアが存在するようになるのが理想だと、一昔前に読んだ著書ですが、確かそのような事が書かれてあったと思います。

私の働いている緩和ケアユニットには、在宅から以外にも、急性期病院の病棟から、或いはナーシングホームから緩和ケアのために移ってくる方がたくさんいらっしゃいます。

ここのユニットはいいわ、スタッフはとても暖かいし、色々気配りをしてくれるし、痛みはとってくれるし…

そう言われると嬉しいけれども、反面、どうして前の病棟では、こんな基本的なことができてなかったのだろうか、と考えてしまう事があります。特にナーシングホームや、透析を中止する事を決断して透析ユニットから移ってきた患者さんたち、長年の人間関係ができている場所で適切な緩和ケアが受けられれば最高なのにと…

取り敢えずは、残念ながら私が失業する事はなさそうですが、後20年、30年経ったときの緩和ケアがどのような状況になっているのか、楽しみです。

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オーストラリア緩和ケア学会スタート

今日から4日間、第9回オーストラリア緩和ケア学会が開催されます。地元のメルボルンなので、学会休暇(年に5日間、学会や勉強会の参加のために取れる有給の休暇)を取って参加します。本格的なスタートは明日からですが、今日は、登録や歓迎レセプション等、日本から参加されている方もいらっしゃるようです。

連日びっしりのスケジュールですが、時間があれば内容の報告をBlogに載せられたらと思っています。

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学会の開催されるメルボルンコンベンションセンター、ヤラ川沿いに建っています。

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メルボルンの電車の主要駅であるフリンダースステーション

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