臨終のとき
夜爪を切ると親の死に目に会えないとかいう言葉があるぐらいで、日本人にとっては、親、もしくは他の家族の臨終に立ち会うことは大事と思われている。
オーストラリアに来て、緩和ケアで働いて、必ずしも誰もが臨終の場にいたいわけではないのだということを学んだ。
だから患者さんの様態が悪くて、夜中に死亡するかもしれないような時、連絡して欲しいかどうかを必ず聞くことにしている。
家族によっては、10時以降だったらもう電話しないで、葬儀社も決めてあるのでそちらに遺体を引き取ってもらって結構、翌朝連絡してもらえれば私物を取りに行きますと…。
別にこの家族が冷たい家族であるというわけではない。アングロサクソン系、或いは移民の一家だけれでもオーストラリアに長く住んで、こちらの生き方、物の考え方になじんでいるという人々にこのような反応が多いような気がする。一番大きな理由は、生きているときの顔を自分の記憶の中の最後の顔として残したいから…というものが多い。
とはいえ、最後に立ち会うことが重要と考える人のほうが圧倒的に多いことも事実、最後が近づくと泊り込む人もいる。多くの人は、変化があれば知らせてくださいという事で帰ることが多い。
前に記事で書いたKさんみたいに、何かが見える能力があれば、家族をいつ呼ぶかのタイミングの判断が絶妙にできるだろうにと思うけれども…、私たちは全身状態の観察によって、変化をキャッチして家族に連絡をする。
死に目に会えなかったという事がないように、私たちは大丈夫かもしれないけれども、でももう近いかもしれないというような時には、家族に連絡をする。確実な予測は誰にもできない事を断って…。
でも、夜中に駆けつけたけれども、又持ち直して、こんな事が何日も続いて家族も疲れ果てたケースも多々あった。こんな時、特に、夜勤をしている時、夜中の2時3時に状態に変化が起きた、家族を呼ぼうか、でも呼んで又前の晩みたいだと…、どうしようか…、迷う事が多い。このときの判断の決め手は、ナースとしての知識と経験、それにGut feeling,第六感とでも言うものに頼る事が多い。
それから家族の心の状態、今日か今日かと思いながら不安な時を過ごす中で、家族も心の準備がすっかりでき、早く安らかになって欲しい、意識のない今、死に目に会う事が絶対的に大事な事ではないのだという境地に達している家族であれば、ぎりぎりまで様子を見ることができる。
私は死が直前に迫っている場合の死期の予測であまり外れた事はない。一般的に経験の深いナースはあまり外れない。医師はどうかというと、結構外れる事が多い。前のホスピスで、死期の近い患者さんの死の時期をどう予測するか、医師とナースで調べてみた事があったが、医師は長すぎたり、短すぎたりでナースの方がはるかに正確だった。身体に触ってケアをしながらじっと観察をしている私たちナースは、なかなか言葉にはできないけれども、頭の中のコンピューターが確率計算をしているのだろうと思う。その結果がGut feelingかなと思う。
今後、どうして自分は、近いと思ったのか、その根拠となった観察事項、感じた事を記録してみるのもいいかもしれないな。より正確な予測のデータになるかもしれない。
私たちはいつも家族に、例え意識がなくても、聴覚や触感は最後まで残るといわれているから、話しかけたり、手を握ったりしてあげてくださいと説明する。
だから私も、意識のない患者さんに、
今家族を呼びましたからね。
30分位で来ますからね。
最後にもう一度会いたかったら待ってあげてくださいね。
その前に逝きたかったらそれでもいいですよ。
私がここにいますからね。
…とか、声をかけることにしている。
人が死の時を選ぶ事ができるものかどうかはわからない。
遠いところから家族がやってくるのを待ちわびていて、間に合わないのではないかと思うような状況で1日2日と持ちこたえて、待っていた人が来た後、まるで安心したように亡くなる人がいる。
逆に、家族が絶えず詰めているような患者さんでも、ちょっと病室を出た時間をみはかっらていたかのように、その時間に亡くなる人もいる。
死に目に会えなかった家族には、そういうこともよくあるんだと話すことにしている。
多くの家族が、あの人はプライベートな人だったから、一人で静かに逝きたかったのだろうとか、あの人は私たちを苦しめたくないから、私たちの来る前に逝ったのだろうとか、それなりに解釈をして、自分で自分を納得させているように思われることが多い。
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コメント
>いえるば様
コメントありがとうございました。
人がどれだけ最後の時を意思の力で左右できるものかどうか、誰にもわかりませんが、多くの患者さんの最期を看取った経験から、本当にこの人はひっそりと逝きたかったのかな、子供たちには最後の場面の苦しみを味わわせたくなかったのかなとか思うことがあります。
家族がつきっきりで、本当にトイレと食事のとき以外はずっとついているというような状況でさえ、ほんのわずかの一人の間に亡くなられる方もいらっしゃいますから…
わかりませんけれども、やはり個々人の意思の力が何らかの形で働いているのではと思うほうが納得できる事が多いです。
Hana
ありがとうございます。拝見して救われました。
夫の臨終間近のとき、お医者さんのお話の後、気持ちの整理がつかなくて、子供の呼び寄せの電話が遅れてしまい、子供は臨終に間に合いませんでした。
冷静に考えれば、逡巡していたのは数分で、すぐに電話していても間に合わなかった可能性が高いです。
見舞いに来てもらったらと勧めても、親しい友人に最後まで知らせずにひっそり闘病していたので、子供にも臨終は見せたくなかったのかも?
夫の真意はやっぱりわかりませんが、そういう考えだったかもしれないと思うことが今までなかったです。素敵なヒントをいただきました。ありがとうございます。
投稿: いえるば | 2007年10月 8日 (月) 23時49分
思いっきり同感です。医者はホントよく外れるんだ~。Nsの方があたるのは、そばでケアをしているからって、感激の言葉です。
新人のNsで、経験もないのに家族に”あと24時間以内に必ず死にます”と言い、はずれまくるのに辞めないNsがいて問題になりましたよ。
実は似たような内容で書こうかな?と思っていたところで、びっくりしました。また書き上げたらトラックバックしますね。
投稿: missy | 2007年7月18日 (水) 15時20分