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2007年10月

水の使用制限

今日は火曜日、早起きして庭に水をやる。6時から8時の間と限られているので寝過ごすとせっかく植えた花が枯れてしまう。しっかり根を張るまでは定期的な水やりは欠かせない。

メルボルンは水の使用制限がどんどん厳しくなり、今ステージ3Aの制限、どういう内容かというと、庭に水をやるのは週に2日だけ、偶数番号の番地の家は火曜日と土曜日、朝の6時から8時の間、水をやっていいのは花壇だけで、芝生にはやってはいけない。

オーストラリアは乾燥した大陸、年間の平均降水量も400ミリぐらいしかない。日本は1700ミリ以上、大雨の被害のニュースなど見ると、ああもったいない、どうして世界に平均して降ってくれないんだろうなんてため息が出る。

オーストラリアは昨今、特に雨量が減り、農業地帯は深刻な干ばつが続いている。羊や牛の飲み水も牧草も足りない。水の配分をどうするかは大きな政治問題でもある。

都会に住む人間も水の節約は深刻な問題、日常生活で様々な工夫をしている。

  1. シャワーの下にバケツを置いて、熱くなるまでの水を無駄にしないでためて庭に使う。
  2. 野菜や果物を洗った水は、ためて庭に使う。
  3. 洗濯機のすすぎの水はためて庭に使う。
  4. 雨水をためる大きなタンクを設置したり、台所、シャワー、洗濯機の水を下水に流さず庭用にタンクにためるように配管をする家庭も増えている。

私もせっせとシャワーや洗い物の水をためて庭の水遣りに利用している。じょうろが大活躍!

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緩和ケアの未来

忙しくて何と二ヶ月近くBlogをサボっていました。更新も無いのにBlogを訪れてくださった皆様、ありがとうございました。ぼちぼちとではありますが,更新再開します。

緩和ケアオーストラリアの学会ですが、非常にたくさんの刺激を受けて帰ってきました。自分のユニットだけで日常の仕事に埋没して過ごしていてはいけないなと強く感じました。

緩和ケアオーストラリアのプレジデント、モナシュ大学の緩和ケア教授、そして今大会の議長であったマーガレット オコナー教授のスピーチがとても印象に残りました。

彼女は緩和ケアの未来という事についての話で、私たち緩和ケアスペシャリストの仕事は、将来緩和ケアスペシャリストという仕事をなくすることだと、自分たちの仕事をなくすことだと語りました。

つまり、どんなに医学が進歩しても人は必ずいつかは死ぬ、死は避けられないけれども、苦痛な症状を徹底的に緩和し、全人的なアプローチでその人らしい尊厳を保った死が迎えられるように援助する、家族、友人に必要なサポートを提供するというのは、どの分野で働いているかに関わらず、ヘルスケアプロフェッショナルが学んでいくべきものです。

緩和ケアの思想、知識が普及し、がん病棟であれ、老人ホームであれ、在宅ケアであれ、あらゆる分野のヘルスケアプロフェッショナルが、死を生命の自然な過程として認め、必要なケアをそれぞれの場で提供できるようになれば、所謂緩和ケアスペシャリストというものは要らなくなる、そういう状況が、自分が失業する事が理想だと彼女は語りました。

マーガレットは、私が日本人ヘルスケアプロフェッショナルのための研修プロプラムのコーディネイトをしていた時、同じ施設で在宅ケアの所長として働いており、在宅緩和ケアについてのいつもいつもレクチャーの依頼をしていましたが、いつも快く引き受けてくれました。レクチャーの通訳をしながら、私自身、多くのことを学ばせていただきました。そのときにも、マーガレットは、緩和ケアスペシャリストナースなんていうものが要らない時代がきたら私はとてもハッピーだと言っていました。

あれから10年以上の歳月が経ちましたが、彼女はあの広大な理想を揺るぎなくみつめ続け、歩き続けて、今やオーストラリアの緩和ケアのリーダーになったんだなと感慨深い思いがしました。

実際、オーストラリアの緩和ケアは、少しずつではありますが、マーガレットの理想とする方向に向いて動いているように思います。

多くの人の最後の時を迎える場所であるナーシングホーム、そこでの個々の希望をを尊重した、尊厳ある死を迎えられるようなケアのアプローチのプロジェクトが進んでいます。

ホスピスムーブメントの産みの親ともいえるシスリー ソーンダース女史も、同じような事を著書の中で述べています。

現代医学は進歩し、医療者は患者の死をまるで自分たちの失敗のように感じ、どう対応していいのかわからず避けて通っている、現在のヘルスケアシステムの中に緩和ケアを導入する事は難しいので、主流から外れてホスピスを始めるけれども、いずれは、医療の主流の中に当たり前のものとして緩和ケアが存在するようになるのが理想だと、一昔前に読んだ著書ですが、確かそのような事が書かれてあったと思います。

私の働いている緩和ケアユニットには、在宅から以外にも、急性期病院の病棟から、或いはナーシングホームから緩和ケアのために移ってくる方がたくさんいらっしゃいます。

ここのユニットはいいわ、スタッフはとても暖かいし、色々気配りをしてくれるし、痛みはとってくれるし…

そう言われると嬉しいけれども、反面、どうして前の病棟では、こんな基本的なことができてなかったのだろうか、と考えてしまう事があります。特にナーシングホームや、透析を中止する事を決断して透析ユニットから移ってきた患者さんたち、長年の人間関係ができている場所で適切な緩和ケアが受けられれば最高なのにと…

取り敢えずは、残念ながら私が失業する事はなさそうですが、後20年、30年経ったときの緩和ケアがどのような状況になっているのか、楽しみです。

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