終わることは、始まること
昨夜、現在の職場に来る前に10年近く働いていたホスピスの仲間と再会した。ホスピスが閉鎖になることになり、過去に働いていた人たちも含めて大勢が集まって、Wake(お通夜)と称して、そのホスピスが長年地域に貢献してきた事、多くの人々の力でここまでこれた事、一緒に働いて、泣いて笑って、たくさんの忘れられない思い出を共有した事、そのホスピスの終わりを悲しむよりは、私たちが輝かせてきたホスピスの命を祝おうと言う事で集まったのだった。
どうして閉鎖になることになったかと言うと、これはビクトリア州政府の緩和ケアサービス改善の政策の一環といえる。私がオーストラリアにやってきて、ホスピスで働くようになった頃には、メルボルンには100床近いホスピスが市の中心部に近いところに二つあるのみだった。
誰でもどこに住んでいても、スムーズに緩和ケアサービスが受けられるようなサービスシステムの改善が必要であった。在宅緩和ケアサービスはビクトリア州内のどこに住んでいてもアクセスできる状況が整ったが、在宅ケアをバックアップする入院緩和ケアサービスへのアクセスは地域による格差が大きかった。
患者さんが住んでいるその地域に適切に緩和ケア入院サービスを配置していく、その政策が進んで、大型ホスピスのベッド数は削減し、郊外に新しい緩和ケア入院設備が整ってきた。
この度又、メルボルン北東部に新しい緩和ケアユニットがオープンし、同時に私の前に勤めていたメルボルンで最も長い歴史を持つホスピスの一キャンパスは閉鎖となった。
もとの同僚たちにとっては職場を失うことはとても大きなストレスだが、それぞれ話を聞くと、皆、新たな仕事先を見つけ、新たなチャレンジに向かって生き生きしていた。別の緩和ケアユニットに移った人、在宅緩和ケアサービスに移った人、急性期病院の緩和ケアコーディネイターのポジションで働く事になった人、高齢者ケア施設で緩和ケアの経験を生かした高齢者ケアのコーディネイターとして働く事になった人、様々だった。
ワインを飲みながら、懐かしい面々と語り合いながら、人の生き死にも、組織の生き死にも似通ったものだなあと言う感慨に打たれた。永遠に変わることなく続くものなど無い。人は老い、病気にもなるし、いずれは死を迎える。組織も、時代の流れに応じて変化し、消滅し、新しいものが生まれる。悲しい思いは自然な思いだけれども、悲しみに打ちひしがれるだけではなく、生きてきた命の輝きを認め、祝う、そして又新しい一歩を踏み出していく...
終わることはそれで最後になるということではなく、新しい何かが始まる事なのだと...
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