終末期医療問題

終末期におけるコミュニケイションのガイドライン

オーストラリアの連邦政府が6月18日に発表したガイドライン

進行した疾患により終末期にある成人患者、及び、その家族と、予後や終末期の問題について話し合うための臨床ガイドライン

オーストラリアは緩和ケアは進んでいるが、その一方、緩和ケアについて何も知らず、或いはちゃんとした理解がなく終末期の予後や、ケア、そのオプションについて患者、家族と充分なコミュニケイションが取れていない医師も多い。

このガイドラインは、ベストプラクティスとして政府が発表したものだから、これを機に、すべての医療者が一定のスタンダードで、コミュニケイションを取れるようになればいいなと思う。

大まかな内容を紹介したい。大雑把な意訳ですので、詳しく知りたい方は本分を読んでください。

それから紹介しているのはサマリーですので、説明不足気味のところがあります。本文には詳細に記述されているので、興味のある方は是非本文を読んでください。

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進行性の予後の限られた疾患を持つ患者とその家族のケアに当たるヘルスケアプロフェッショナルに取って、予後や終末期の問題に関するコミュニケイションは重要なスキルである。

専門家の意見は様々であり、このような患者、家族と終末期の問題についてどの様に話し合うのが最善であるかの信頼性の高いエビデンスは限られている。

このガイドラインは、そうした問題について話し合う上でのガイドラインである。このガイドラインは、以下の方法で開発された。

システマティック文献レビュー
現存するガイドラインや専門家の文献レビュー
専門家による諮問委員会でのガイドラインのたたき台をもとに作成

話し合いの準備:可能であれば

  • 話し合いを始める前に検査結果を確認しておく
  • 話し合いはプライバシーの保てる場所を選び、中断されないように時間を確保しておく
  • 誰々が話し合いに出るのか話し合っておく

患者、家族への関わり方

  • 信頼関係を築く
  • 話し合いの間中、共感、思いやりを示す

患者、及び家族の希望の明確化

  • 話し合いの目的を明らかにし、患者、家族が何を期待しているのかを明らかにする
  • 患者、家族が現在の病状をどう理解しているのかを聞き、彼らが何をどれだけ詳しく知りたいのかを明らかにする
  • 文化的要素、状況が、情報の求め方に影響を与えるという事を考慮する

情報の提供

  • 個々の患者、家族のニーズにあった情報を提供する
  • 思いやりのある態度で、この先どんな事が予測されるかについて話す用意があることを伝える。同時に、患者がその事について話したくなければ話さなくてもいい事を伝える
  • 患者の理解度、状況、何をどれだけ聞きたがっているのかに応じて、情報を少しずつ、間をおきながら話す
  • 専門用語を使わず、平易で明確な言葉を使って話す
  • 予後に関する情報の確実性には限界があることを説明する
  • 残された時間について、明らかに残り数日というとき以外には、具体的に数字を挙げて話すことを避ける
  • 家族には家族の特別な情報へのニーズがあることを考慮する。そのためには別の話し合いが必要になるかもしれない。患者が意思決定能力があり、了承するならば別の話し合いをもうける。
  • 患者、家族に対する医療チームからの情報がばらばらでないように統一する

気持ち、不安を受け止める

  • 患者、家族の恐れ、不安、感情的反応をさぐり、それを認める
  • 患者、家族の苦痛に対して対応する:適切であれば

現実的な希望をはぐくむ

  • 正直に対する事、しかし、正直があからさま過ぎたり、患者が望む以上の詳細な情報を与えたりしないように
  • 患者に希望を持たせたいばかりに、誤解されるような言い方や、事実に反する情報を与えてはいけない
  • 痛みやその他の症状をコントロールするための治療、リゾース、サポートがあることを保障する。しかし、充分な話し合いもしないまま安請け合いをする事は避ける。
  • 毎日毎日をどう過ごしていくのか、とか、現実的な希望やゴールについて話し合う。

質問を促し、更に話し合う

  • 質問する事を奨励し、わからなかった事はなかったのか聞く。同じ説明を繰り返さなければならない事もある。
  • 話し合った内容が理解できたか、情報は患者、家族が知りたいと思っていた事だったのか確認する
  • 後になって更に話し合いが必要になれば又話し合えることを伝える

記録

  • カルテに話し合った内容のサマリーを記録する
  • 患者のケアに当たっているキーとなる医療者に話すか、或いは書面で話し合いの結果について知らせる。少なくとも患者のかかりつけの一般開業医には知らせる。

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積極的安楽死に関する議論 その2

最近、どうも安楽死に関するTV番組が多い。
今夜もABCで、
Final Act という番組があった。
前の記事で紹介した、オーストラリアのDr Philip Nitschkeが主催している
Exit Internationalのメンバーの活動やインタビューが紹介されていた。


この会には多くの高齢者が加入しており、各地でワークショップを開いている。
ワークショップの内容は、如何にして確実に苦しまずに自殺をするかというもの!


メンバーの大半は末期の疾患を患っているわけでもない。
どこにでもいるごく普通のお年寄りである。
がんの人もいるが、まだ自由に動き回れるレベルの人たちである。
彼らはインタビューに答えて一様に語った。

自分は今は元気で、人生を楽しんでいるが、自分で自分のことができないような状態になったら、ナーシングホーム(老人ホーム)に入るよりは、尊厳のある死に方をしたい。

植物状態になって生かされるのは耐えられない。

病気になって痛みで苦しみながら死んでいきたくはない。犬や猫が苦しんでいれば安楽死させるのに、人間はどうしてじわじわ苦しみながら死んでいく事を強要されなければいけないのか?

クオリティーオブライフこそが大事で、命の長さが大事なのではない。

緩和ケア? 皆が皆、緩和ケアの対象になるわけではないじゃないか!

自分の命なんだから、何時どの様に終えるかの選択の権利がある。

年をとって、人の世話になって、家族の負担になって、社会の負担になってまで生きたくはない。

年をとる事が怖いのではない。さまざまな障害をもって生きなければならなくなるのが怖いのだ。だから、そうなる前に、自分でその時が来たと判断したときに、確実に苦しまずに死ねる薬とか、方法とかを準備しているんだ。
家族も納得している。
etc...


Dr Nitschekeは、これに対して、倒れて気がついたら病院にいたとか、ナーシングホームにいたとかいうことにならないためには準備が必要だと、懇切丁寧に、その準備について指導をしている。

最も確実なのはネンビュタール、これは現在オーストラリアでは動物の安楽死に使われているだけで、普通の人が入手する事はできない。
メキシコに行けば簡単に入手できると獣医用の薬局の地図まで渡す。
何百人というオーストラリアの高齢者が、ネンビュタールを買いにメキシコに行く事が予定されているという。
メキシコに行く事ができない人たちは、自分たちでネンビュタールを作るということをやっている。
ちょっとした過ちで大爆発を起こしかねない薬品を素人の老人たちが作っている様子が撮影されていた。

この薬はオーストラリアでは違法な薬だから、所持しているのが見つかれば最高2年の禁固刑、作っているのがみつかれば最高15年の禁固刑になるという。
それでも老人たちはひるむ様子もなく、捕まれば刑に服する覚悟はできているという。

口をそろえて、自分たちが尊厳のある死に方を選べるように法律を変えるべきだと訴えている。

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番組を見ていて、小説楢山節考と、誰の作品だったか忘れたがSFで人間の寿命がのびたため、人は自分の死に時を選ぶようになる話をふと思い出した。


まるでSFの近未来のストーリーを見ているような気になったが、これは現実の話
このグループは全体から言えばマイノリティーではあるが、老いていくことへの不安、老いて病気や障害を抱えて生きていく事への不安、惚けたり、失禁状態になって他人の世話になって生きていくことは堪えられないと感じる気持ち、それに共感する人は多いだろうと思う。
日本でも、死ぬときにはぽっくり死にたいと、ぽっくり寺参りとかがあるとかいう話を聞いたことがある。


しかし...
末期患者でもない健康な老人にまで、尊厳が保たれている間に死を選べるように積極的安楽死の合法化を求め、それを尊厳ある死というのは...


私は末期患者の積極的安楽死の合法化に絶対反対とは言い切れない気持ちはあるが、合法化によって社会に与える影響を思うと賛成する気持ちにはなれない。


もし合法化されたならば、論理的な展開として、必ずや、この老人たちのようなグループや、アルツハイマー病の診断をされた人、重度の障害を持って生きている人、長い間鬱病で苦しんでいる人、果ては重度の障害を負って生まれた赤ん坊にまで適応するべきだという声が上がるのは必至のように思われる。
耐え難い痛みは積極的安楽死の合法化を願う人たちの理由の第一に挙げられているが、痛みとともに生きている人はたくさんいる。
私の友人で繊維筋痛症の人がいるが、彼女は痛みの全くない時間はない毎日を送っている。
精神的苦痛という事からいえば、がん末期の苦しみよりも重度の障害を抱えて生きる苦痛のほうが強いかもしれない。

現に積極的安楽死が合法化されているオランダでは、精神障害の患者、重度の障害のある赤ん坊の積極的安楽死のケースが報告されている。


法によりこうした事を認める社会、その事は人々の意識、価値観に大きな影響を与えると思う。
病気、障害の有無に関わらず人間は平等な権利があるという理念の下に、格差を是正するために努力していく社会から、若くて健康で生産能力のある命は生きる価値のある命だけれども、病気や障害があれば生きていても尊厳のない命と、社会的弱者はそう感じざるを得ないような社会にならないだろうか?


私は長い間緩和ケアの分野で働いてきて、患者さんから早く死にたい、何とかして欲しいと言われたこともある。
ある患者さんは、自分は積極的安楽死の支持者なのに、家で心臓発作を起こして、咄嗟に救急車を呼んでいた、そんなことしなかったら死ねてたのに、悔しいと...
でも、いずれの患者さんも、毎日毎日、その訴えを繰り返すという事はなかった。
絶望的な気分になる日もあれば、嬉しい事のある日もある、お孫さんの顔を見ると笑顔も出る、ナースに当たる日もあれば、冗談を言って笑える日もある。
そういう浮き沈みを経て、患者さんも家族も近づく死をしっかりと受け止めた時、悲しいのだけれども、静かな、厳かな空気が病室に満ち溢れているような気がするときがある。
自分の想像する最悪の時が来る前に死に急ぐ選択をする人たちはこのような境地に達する事ができるのだろうか?
この人はこの状態で生きていて尊厳が保たれているといえるのだろうかと重苦しい思いになるケースもあるが、自分たちケアに当たるものがこの人に一人の尊厳ある人間として向き合う事、それがこの人にとっての最後の尊厳になるのだと自分に言い聞かせてケアにあたっている。

メディアは派手にこの手の番組を組むが、地道に緩和ケアについて伝えたり、自分の納得のいく治療を選ぶ権利や、拒否する権利があることを伝えたりはしない。
現場にいるものが、辛抱強く伝えていく事が大事とつくづく思う。

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終末期医療に関する法律

日本で厚生労働省が発表した終末期医療ガイドラインピッツバーグ内科医でご指摘のように、現場の状況の解決にはあまりつながらないように思われる。
ガイドラインの提案するプロセスを踏んで、患者さんの意思に従い、例えば人工呼吸器をはずしたとして、それで、医師が殺人罪、嘱託殺人罪、自殺幇助罪等に問われないという明確な記述はどこにも無い。


オーストラリアでは、終末期であるかないかに関わらず、患者さんが治療を受けるか受けないかを決定する権利は認められているし、患者さんの意思に従って、治療を中断、或いはしないという結果になっても医師が罪に問われる事はない。


この事に関して法律ではどのようになっているのか紹介してみたい。


ビクトリア州の法律では?
Medical Treatment Act 1988


18歳以上で、認知障害、治療可能な鬱病が無く、自分の疾病、治療に関して納得した上でなら治療を拒否できる。Refusal of Treatment Certificate; competent person

将来起こるかもしれない事態に対しての事前指定はできないが、自分が意思決定できない状態に陥ったときに、自分に代わって治療に関する決断をする人を指定し、その人に権利を委任する事ができる。Enduring Power of Attorney Medical Treatment

患者さんがCompetentでない場合には、裁判所が本人に代わって決断をする後見人を指定する事ができる。

拒否できる治療に緩和ケアは含まれない。

Competentな患者が治療を拒否したのに、それに反して治療を継続、或いは行った場合は医師に対する罰則がある。

説明と納得の上で患者、或いは、その権利を委譲された者、後見人が治療を拒否したことへの結果に対して医師は民法上、刑法上の罪に問われない。


サウスオーストラリア州の法律では?

Consent to Medical Treatment and Palliative Care Act 1995

16歳以上のCompetentな患者の治療を拒否する権利を認める。

18歳以上の人の将来起こりうる事態に対しての治療に関する事前指定を作成する権利を認める。

自分が意思決定できなくなった場合に、自分に代わって治療に関する意思決定をする人を指定し、権利を委任する事ができる。

救急医療において本人が意思決定ができない、本人の事前の指定の存在の有無も不明、本人に代わって意思決定できる人も不在の場合には、同意なしで治療を行っても違法ではない。

16歳以下の子供の治療を親、或いは後見人が拒否しても、最良の医学的判断に基づいて、治療の拒否がその子供にとっての最善の利益と判断されない場合には、治療を行っても違法にはならない。

拒否できる治療に緩和ケアは含まない。

終末期の患者の痛み、苦痛の緩和のために治療を行って、それが結果的に死期をも早める事になっても、医師は刑法上、民法上の罪に問われない。

終末期の患者、或いは慢性植物状態の患者に、ある治療を行う、或いは続けても瀕死の状態の命をただ長びかせるだけで、回復の可能性のない場合には、患者本人、或いは代理人からの反対の意思表示がなければ、医師はその治療を行う義務、或いは継続する義務はない。

この法律は、意図的に死期を早める行為を認めるものではない。

この法律は、自殺の幇助を認めるものではない。

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サウスオーストラリア州では、1983年にNatural Death Actが成立したが、これは終末期の患者のみの治療を拒否する権利、事前指定書を認めるという内容だったが、1995年に現法が成立し、医療の現場における広範囲なシチュエイションをカバーできるものになっている。


それでは、実際の医療の現場で上記のような、事前指定書を作っている人とか、いざというとき権利を委任する人を決めている人がどれだけいるかというと、データは見つけられなかったが、非常に少ないと言われている。
緩和ケアでは、Power of Attorney (Medical Treatment)を作成している人は時々いる。


しかし、こうした法律がガイドラインとして機能するため、現場での本人の説明と納得の上での意思決定、家族会議での説明と納得の上での意思決定、これがさほど問題なくできていると感じる。


人工呼吸器をつけるかどうかといった治療に関しては、明確に治療と定義できるが、水分と栄養の補給は治療となるのか、否かがあいまいなところがある。
ビクトリア州の法律によれば、緩和ケアには適切な水分と栄養の補給をする(reasonable provision of food and water)の記載がある。これは、人工的な経管栄養や点滴による栄養、水分の補給を含むのか?


ビクトリア州に住む68歳のBWVさんという女性、Pick’s Diseaseによる重度の認知症、喋る事も動く事もできず回復の可能性はなし、過去3年半、経管栄養によってただ生かされている状態、ご主人が、経管栄養を中止して尊厳死をさせてやりたいと医師に申し出たが、拒否された、その結果裁判になったケースがあった。


2003年にビクトリア州の最高裁判所は、このケースでランドマークとなる判決を下した。
関連記事
Stuart Morris裁判長は、人工的な栄養と水分の補給は治療であるという判決を下し、この結果、BWVさんの後見人は、治療を拒否する権利を行使し、BWVさんはご主人の願いどおり、いたずらに命を長らえさせられることなく、亡くなった。


現場の医療者にとっては、この判決が出る前から、人工的な栄養、水分の補給は家族と話し合って納得の上で中止することが行われているが、この判例は、複雑なケースでの意思決定をする上で有用なものとなっているのではないだろうか。


以上、オーストラリアからの報告でした。
他の国の法律がどうなってるかについても、現地から報告してくださるかたがいいると嬉しいです。




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天国へのビザ

春野ことりさんという現役の女性医師が自費出版で天国へのビザという本を出されている。
日本における終末期医療のあり方についてフィクションの形で問題提起をした本らしい。
読んでみたいと思って注文した。

天国へのビザのBlogを読んで、日本でもこちらでやってるようなことができたらいいのになと思った事がいくつかある。


春野さんに寄せられたある方からの手紙で、末期がんのおばあ様に放射線療法をすすめられたが、余計に苦しませるだけと断ったら、治療をしないのなら退院してくださいといわれたとのこと


オーストラリアでも、かつてはそうだった。
DRG,日本で言うマルメ、或いは定額医療制度でがんじがらめに縛られているオーストラリアのヘルスケアシステムの下では、治療をしない人を入院させておくゆとりはない。


緩和ケアサービスは入院、在宅ともにあっても、急性期ケアとのリンクがスムーズではなく、急性期のケアにあたる医療者、患者さんとその家族も緩和ケアについての知識が不十分という状態が存在した。


そうした問題の解決のために私の住むビクトリア州ではケアの三角形というモデルを作り、推し進めてきた。
急性期病院に緩和ケアコンサルタントチームを作る。
急性期病院と在宅緩和ケアサービス、入院緩和ケアサービスの連携を強化する。


先の話のおばあ様のようなケースがあれば、即緩和ケアコンサルタントチームが出向き、急性期の治療チーム、緩和ケアコンサルタントチーム、患者さんとその家族でファミリーミーティングが開かれる。
患者さんも家族も治療チームも緩和ケアが適切という方針に賛成であれば、それからのケアのオプション、症状コントロールのために一時緩和ケアユニットに入院するとか、安定すれば在宅緩和ケアサービスのサポートを受けて自宅で過ごせるという情報が提供される。


日本の現在の医療のシステムではこれはできないだろうが、こうした患者さん、家族に渡す緩和ケアのパンフレットとかないのだろうか?
地域の緩和ケア情報とか、地元の緩和ケア組織に作ってもらうこととかできないのだろうか?


厚生労働省は在宅死の割合を4割にするとか数字だけあげて、そのための対策は何もしていないように思われるが...


それからファミリーミーティング、ぜひ日本でも取り入れたらいいのではないかと思う。
家族といっても一人一人意見も違う。
本人不在だと、本人の意思に反した話ばかりになってしまう可能性も高い。
本人を交えて、或いは、本人の意思確認後、本人が参加を望まなければ本人不在でミーティングを行ってもよい。
こちらではミーティングは通常ソーシャルワーカーが進行役となり、きっちり記録も取って、カルテにも残し、家族にコピーも渡す。


(病院の記録は法的証拠となる文書、何かあったとき、あなたを守るのは記録と、こちらではしっかり教えられた。)

私の勤務する緩和ケアユニットでも、入院した患者さんには全員必ずファミリーミーティングを設定する。
患者さん本人の意思が最優先のこの国でも、患者さんの意思決定能力は病状の悪化とともに衰えてくる。
終末期のケアは家族のケアとも言える。
本人も家族も納得できるケアのゴールの設定、このためにファミリーミーティングの果たす役割は大きい。

でも殺人的スケジュールの日本の医師、ソーシャルワーカーなんて大病院に一人しかいない、なんて日本の状況ではないものねだりでしょうか?

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積極的安楽死に関する議論

先日、オーストラリアのテレビ局の一つ、SBSInsightという番組でLast rights(最後の権利)というテーマで積極的安楽死に関する議論が行われていた。

議論の内容を読みたい方は下記のアドレスでダウンロードできます。

http://news.sbs.com.au/insight/trans.php?transid=998


オーストラリアは世界で最初に積極的安楽死を合法化した。
Rights of the Terminally Ill Act 1995

1995年、ノーザンテリトリーの議会は、医師による末期患者の自殺幇助を容認する法案を可決し、1996年、7月この法は発効された。

この法の下で4人の末期がん患者がDr Philip Nitschkeの幇助で自殺した。
しかし、1997年、連邦政府はこの法を無効化する法案を可決し、オーストラリアでは現在積極的安楽死は違法である。



あれから、丁度10年、オーストラリアでは、積極的安楽死を認めるべきだという声は、前にもまして大きくなっているようだ。

SBS
による世論調査では85%の人が、積極的安楽死を認めるべきだと答えている。
SBS
の世論調査はOnlineによる世論調査で信憑性は低いが、Morgan Poll Australiaによる無作為に対象を選んだ世論調査によっても似たような結果が出ている。


番組では、さまざまな分野からの人から、積極的安楽死をサポートする、或いは反対する議論が繰り広げられた。


オーストラリアの医師、Dr John Elliot、彼は末期の前立腺がんで、痛みと苦しみの中での死に尊厳はない、これ以上妻の負担にはなりたくない、人間は生きているときと同様に、死ぬことにおいてもコントロールと責任を持つ事を許されるべきだ、自分の最後は自分で選択したいと、スイスの外国人に対してもサービスを提供しているDignitasで積極的安楽死による自殺死を選んだ。

番組では、彼の最後のメッセージを読む姿のビデオ画像が公開され、奥さんも、番組に出演し、少しも後悔はないと語った。


Dr Philip Nitschke
は積極的安楽死の活動家である。

彼はノーザンテリトリーの自殺幇助で、Death Doctor(死の医師)として有名になり、法律が無効になってからはExit Internationalという組織を作り、各地でワークショップを開き、如何にして確実に楽に自殺をするかの情報を提供している。http://www.exitinternational.net/


彼は、こうした情報を書いたThe Peaceful Pill Handbookという本も出版したが、この本はオーストラリア国内では出版と販売を禁止された。

しかし、彼は最近、GoogleOnlineでこの本にアクセスできる契約を結んだとのことである。

彼のワークショップ、支持者には高齢の人が多い。
この国で積極的安楽死が再び合法化されるのを待ってはいられない、誰でもが安楽死のためにスイスに行く経済力があるわけではない、だから自分は情報の提供を続けるのだと...


番組には彼の支持者の顔も多く見られた。

そのうちの一人の女性は、彼の本のアドバイスの一つに従い、メキシコに行って、致死量のネンビュタールを購入してきたと
又、ある出演者のご主人は末期がんで、ある日、奥さんと愛犬を口実を作って家から出し、留守中に一人でDr Philip Nitschkeのアドバイスの一つであるプラスティックバッグをかぶって自殺をした。


Lesley Martin
はニュージーランドで積極的安楽死を合法化しようとする活動家である。

http://www.dignitynz.co.nz/



彼女はICUで長く働いていたナース、末期の大腸がんの母親の死を長引かせないでとの願いを受け入れ、ホスピス入院中の母親に60mgのモルヒネを二回に分けて投与した。

彼女の母親は、その直後に死亡したわけではなく、翌日に死亡した。



医師とホスピスは彼女を警察に通報、その結果彼女は10ヶ月にわたる殺人容疑による取調べを受け、結果は不起訴となった。

この後、彼女はニュージーランドのおける積極的安楽死の議論を巻き起こす目的であえて自分の経験を書いて出版した。



To Die Like A Dog – the personal face of the euthanasia debate

この出版で警察は再び彼女を逮捕、殺人容疑で起訴され、15年の禁固刑の判決を受け、執行猶予で実際は7ヵ月半刑務所に入った。

彼女らの主張は、末期の疾患で苦しむ人たちが、いつどのようにその苦しみを終わりにするのか選択する権利を法で認めるべきだ、積極的安楽死を合法化するべきであるというものである。


Dr Rodney Syme
Dying with Dignity Victoria(ビクトリア尊厳死協会)の副議長である。

http://www.dwdv.org.au/Home.html


彼は、これまで30年間、自分は多くの患者さんの死を助けてきた。

1988年以降、オーストラリアで行われた数々の調査によれば、11から30%の医師やナースが、かつて意図的に死の時期を早める目的で何らかの行為を行った事があると

そして彼はスティーブの例を話した。

彼は食道がんで、口からは何も食べれず、胃に直接挿入したチューブによって栄養摂取していたがやせこけて、もうこの苦しみを終わらせたいとDr Symeのもとにやってきた。


Dr Syme
は緩和ケアに行く事を勧め、セデーションをしてもらえれれば、最後の苦しみも和らげられるだろうと話したが、スティーブはそれを拒否し、自分でコントロールできる道を望んだ。
そこで、Dr Symeは彼にバービチュレイトの情報を与えた、どれ位服用すればいいのか、どのように服用すればいいのか、その後どんな事が起こるか等々...

スティーブはこの後、与えられた情報を使って自殺するまでの2週間、リラックスし、不安や恐怖もなくなり、精力的に尊厳死の活動にも参加し、2週間後、自宅で家族に囲まれて亡くなった、誰もが、このような最後を迎えたいだろうと思うと...


彼は積極的安楽死が合法化されることで、誰もが安易にそれを望むという事はない。

実際、アメリカのオレゴン州では、医師が一定の条件にかなう末期患者には致死量のネンビュタールを処方する事が法で認められているが、処方箋を受け取ったものの40%はそれを使わないままに終わっていると...

積極的安楽死を認めるべきであるという人たちの主張の根幹は、選択の自由は民主主義社会における人間の基本的権利である、末期の状態で、自分にとっての尊厳のある死を選ぶ権利は認められるべきであるというものである。

多くの活動家は、緩和ケアを否定するものではない、むしろ、その必要性は充分に認識しているように思われるが、例え、適切な緩和ケアがあっても、痛みや苦しみ、自分のやりたいこともできず、家族や他者に依存して生きるよりは、尊厳ある死に方を選びたい、その権利があるはずだということに尽きるようだ。

積極的安楽死に反対する立場としては、

連邦政府の高齢者対策大臣、Christopher Pine
緩和ケアオーストラリアの議長、Margret O’Connor,
カトリックの生命倫理学の専門家で、連邦政府の医療倫理のコンサルタントの一人でもあるDr Nicholas Tonti-Filippini

以上
が発言したが、バランスとしては、反対側は非常に短時間しか与えられず、Pine大臣は、一番多く喋ったものの、議会で何度も討論されたが、連邦政府も各州政府も積極的安楽死の合法化には反対である、緩和ケアをもっと推し進める方向であると繰り返すばかりで効果的なディベートをする事はできなかった。



クイーンズランドにあるホスピスの取材の映像が公開され、患者さんや家族のインタビューもあったが、全体として、緩和ケアで働く者としては、非常に不消化な思いの残る番組であった。


積極的安楽死、医師による末期患者の自殺幇助を合法化に関する議論は、今後も高まりこそすれ、消えていく事はないと思う。



ノーザンテリトリーは準州で、議会も一院制、そのために、一旦通過した法案が連邦政府によって無効にされるという結果になったが、以後、他の州政府で同様の法案を提出する動きは続いており、可決されれば、一つの州政府の決定を連邦政府が無効にする事は困難であり、いずれ、どこかの州で可決される可能性は大きい。


今後もオーストラリアでの動きを伝えていきたいと思っている。

又、緩和ケアの現場で働いているものとしての感想などもいつかまとめてみたいと思っている。


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