死、葬儀にまつわる文化の違い
私は緩和ケアユニットで働いているので、これまで多くの患者さんを看取ってきた。年間300人以上亡くなられるので、多いときには一日に5人の患者さんが亡くなられる事もある。
働いている場所がオ-ストラリア、非常に移民の多い国なので、当然患者さん、そしてその家族のバックグラウンドも様々となる。
人が亡くなるとき、亡くなった後、どうするのかは、その患者さん、家族のバックグラウンドによって随分違うので最初は戸惑った事も多い。
アジア系の人は仏教徒の人も多いが、日本の習慣とは随分違う。
死が近くなると家族、親戚が集まって、ろうそくをつけて、延々とお経を唱える家族がいる。スプリンクラーが作動するといけないので、煙の出ないろうそくをつけてもらうことにしている。
最近は殆どの方が、iPodみたいな小さなプレーヤーをつけて絶えずお経が聞こえているようにしている家族が多い。
患者さんの意識もまだはっきりしていてもこれはするので、縁起が悪いなんて考えはないようだ。
言葉もわからないし、抑揚も日本のお経とは違ってやさしい、素朴な歌のように聞こえて、私は結構安らかな気持ちになる。
クリスチャンでカトリックの方の中には、死がいよいよ近づいたときに、Annointing(病者への塗油)とか、Last rites(終油の儀式)とかを行うことが重要な人もいる。
ローマンカトリック、ギリシャ正教会の信者の方が特にこのことを重要視するようだ。
最後までわずかに意識の残っている患者さんもいるので、家族が、儀式は死の前にしなければいけないけれども、本人が意識がある間は神父さんを呼ばないでくれ、などという難しい注文を出して困る事もある。
痛み、不穏等でBreakthroughを投与するのとタイミングを合わせて、本人が薬でうとうとしている間に神父さんに来てもらうなんてことをしたこともある。
ギリシャ系、イタリア系の人は、誰かが死が近いと、親族縁者がどっと押しかけてくる事が多い。
彼らにしてみればこれは社会的しきたりであり、礼儀であり、Needs to be seen、という事でやってくるのだけれど。
狭い病室にぎっしり入って、じっと座って患者さんの死を待っていることもあれば、関係のないおしゃべりに興じている事もある。
患者さん、家族がこのことを望んでいるのなら私たちは何も言わないが、落ち着いていた患者さんが不穏になったり、オーストラリアに住んで2世代、3世代の家族にとっては、ちょっと迷惑なのだけれども、そういう慣習なのでむげに断る事もできず、困っているという事が多い。
こういうときは、ナースが悪者になって、言葉に気を使いながら、患者さんの安楽のために、面会は一人五分で帰ってもらうとか、家族以外は一回に二人以上は入らないとかいうルールを設けて患者さんと家族をサポートする。
患者さんが亡くなったとき、イタリア系、ギリシャ系の方は、感情をありのままに表現する事が文化として許容されている。
あくまでも一般論で個々人により大きな差があるが。
中にはユニット中に響くような声で泣き叫んだり、ところかまわず床に突っ伏して号泣する人もいる。
こういう文化だからと思うものの、それを聞く他の患者さん、家族の動揺振りを思うと、ついおろおろしてしまう。
日本では馴染みのなかったイスラム教の信者の人も多い。
家族によって差はあるが、亡くなった後は、一切触れてはいけないという事が多い。
持続皮下注の針を抜いたり、カテーテルを抜いたりだけは、事前に許可をもらってするが、後は、触れない。
イスラム教では、そのコミュニティーの人で、遺体を拭き清める人がいてその人たちが行う事になっている。
遺体は速やかに埋葬する決まりになっているので、死亡診断書等の書類をすぐに整えておく必要がある。
私の勤めるユニットでは、遺体は通常、葬儀社が直接やってきて、ストレッチャーで寝台車に運び込むのだが、イスラム教の方の場合は、プラスティックの棺おけを持ってきて、何人かの男性でその中に遺体を移し、担いでいく。
最初見たときはびっくりしてしまった。
日本では、誰かが亡くなれば、まずは家につれて帰ってあげて、お通夜をしてという順番になるが、オーストラリアでは、遺体を家につれて帰るということはしない。
葬儀社が遺体を引き取りに来て、そこで葬儀の日まで安置され、日本で言うエンゼルケアとか、エンバーミングとか施され、葬儀当日、希望があればお棺を開けて顔を見ることができるという事になる。
日本的な感覚では、淋しいなと思う。遺体に触れたり、話しかけたり、お線香を絶やさずお通夜をしたりとか、死を現実のものとして受け入れるためにも役に立つのではないかと思うが…。
ユニットでは、患者さんが亡くなると、家族にゆっくりお別れをしてもらうようにしている。時間は一切制限しない。
死が確実にくるものとわかっていても、いざ亡くなると家族のショックは大きく、動転する。
様子を見ながら、押し付けがましくなく、サポートをしていく。長い時間のカウンセリングが必要な家族もいる。葬儀社を決めていないので、それを選ぶための情報を必要とする家族もいる。小さな子供も来ている事が多いので、その子たちが大丈夫か気を配る必要もある。
患者さんが亡くなってナースのケアは終わりにならない。現在、ある大学で、緩和ケアで患者さんが亡くなった後、ナースがどれぐらいの時間をどの様なケアに費やしているのかのリサーチが行われていて、うちのユニットでも協力している。
政府からの財源は、患者さんが亡くなった時間が退院の時間としてしか資金の計算をしてくれない。このリサーチの結果で、ナースがいかに死後も家族のケアに関わっているかが明らかになれば、少しは資金も増えるかもしれない。(希望的観測)
オーストラリアの葬儀社(Funeral Director)は、テレビでもコマーシャルがしょっちゅう流れている。
亡くなった後、葬儀社の選択とか、費用とかで家族に心配をかけないために、生前に葬儀の手配をしておきましょうというものも多い。
このPrearranged Funeralは、最近、患者さんの中にもしている人が多い。確かに、動転しているときに、葬儀社選びとか、その費用の心配とかをする必要もないので、なかなかいいシステムかもと思う。細かい事で家族の希望があれば、それは相談して入れられるのだから。
それから、こちらの葬儀社の中には、死別後の悲嘆のサポートを提供しているところもある。優れたパンフレットもたくさん作られていて、無料で提供されている。グリーフカウンセラーによるカウンセリングのサービスを提供しているところもある。これは、日本の葬儀社も是非取り入れられたらいいのにと思うことの一つだ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント