緩和ケアユニット通信

死、葬儀にまつわる文化の違い

私は緩和ケアユニットで働いているので、これまで多くの患者さんを看取ってきた。年間300人以上亡くなられるので、多いときには一日に5人の患者さんが亡くなられる事もある。

働いている場所がオ-ストラリア、非常に移民の多い国なので、当然患者さん、そしてその家族のバックグラウンドも様々となる。

人が亡くなるとき、亡くなった後、どうするのかは、その患者さん、家族のバックグラウンドによって随分違うので最初は戸惑った事も多い。

アジア系の人は仏教徒の人も多いが、日本の習慣とは随分違う。

死が近くなると家族、親戚が集まって、ろうそくをつけて、延々とお経を唱える家族がいる。スプリンクラーが作動するといけないので、煙の出ないろうそくをつけてもらうことにしている。

最近は殆どの方が、iPodみたいな小さなプレーヤーをつけて絶えずお経が聞こえているようにしている家族が多い。

患者さんの意識もまだはっきりしていてもこれはするので、縁起が悪いなんて考えはないようだ。

言葉もわからないし、抑揚も日本のお経とは違ってやさしい、素朴な歌のように聞こえて、私は結構安らかな気持ちになる。

クリスチャンでカトリックの方の中には、死がいよいよ近づいたときに、Annointing(病者への塗油)とか、Last rites(終油の儀式)とかを行うことが重要な人もいる。

ローマンカトリック、ギリシャ正教会の信者の方が特にこのことを重要視するようだ。

最後までわずかに意識の残っている患者さんもいるので、家族が、儀式は死の前にしなければいけないけれども、本人が意識がある間は神父さんを呼ばないでくれ、などという難しい注文を出して困る事もある。

痛み、不穏等でBreakthroughを投与するのとタイミングを合わせて、本人が薬でうとうとしている間に神父さんに来てもらうなんてことをしたこともある。

ギリシャ系、イタリア系の人は、誰かが死が近いと、親族縁者がどっと押しかけてくる事が多い。

彼らにしてみればこれは社会的しきたりであり、礼儀であり、Needs to be seen、という事でやってくるのだけれど。

狭い病室にぎっしり入って、じっと座って患者さんの死を待っていることもあれば、関係のないおしゃべりに興じている事もある。

患者さん、家族がこのことを望んでいるのなら私たちは何も言わないが、落ち着いていた患者さんが不穏になったり、オーストラリアに住んで2世代、3世代の家族にとっては、ちょっと迷惑なのだけれども、そういう慣習なのでむげに断る事もできず、困っているという事が多い。

こういうときは、ナースが悪者になって、言葉に気を使いながら、患者さんの安楽のために、面会は一人五分で帰ってもらうとか、家族以外は一回に二人以上は入らないとかいうルールを設けて患者さんと家族をサポートする。

患者さんが亡くなったとき、イタリア系、ギリシャ系の方は、感情をありのままに表現する事が文化として許容されている。

あくまでも一般論で個々人により大きな差があるが。

中にはユニット中に響くような声で泣き叫んだり、ところかまわず床に突っ伏して号泣する人もいる。

こういう文化だからと思うものの、それを聞く他の患者さん、家族の動揺振りを思うと、ついおろおろしてしまう。

日本では馴染みのなかったイスラム教の信者の人も多い。

家族によって差はあるが、亡くなった後は、一切触れてはいけないという事が多い。

持続皮下注の針を抜いたり、カテーテルを抜いたりだけは、事前に許可をもらってするが、後は、触れない。

イスラム教では、そのコミュニティーの人で、遺体を拭き清める人がいてその人たちが行う事になっている。

遺体は速やかに埋葬する決まりになっているので、死亡診断書等の書類をすぐに整えておく必要がある。

私の勤めるユニットでは、遺体は通常、葬儀社が直接やってきて、ストレッチャーで寝台車に運び込むのだが、イスラム教の方の場合は、プラスティックの棺おけを持ってきて、何人かの男性でその中に遺体を移し、担いでいく。

最初見たときはびっくりしてしまった。

日本では、誰かが亡くなれば、まずは家につれて帰ってあげて、お通夜をしてという順番になるが、オーストラリアでは、遺体を家につれて帰るということはしない。

葬儀社が遺体を引き取りに来て、そこで葬儀の日まで安置され、日本で言うエンゼルケアとか、エンバーミングとか施され、葬儀当日、希望があればお棺を開けて顔を見ることができるという事になる。

日本的な感覚では、淋しいなと思う。遺体に触れたり、話しかけたり、お線香を絶やさずお通夜をしたりとか、死を現実のものとして受け入れるためにも役に立つのではないかと思うが…。

ユニットでは、患者さんが亡くなると、家族にゆっくりお別れをしてもらうようにしている。時間は一切制限しない。

死が確実にくるものとわかっていても、いざ亡くなると家族のショックは大きく、動転する。

様子を見ながら、押し付けがましくなく、サポートをしていく。長い時間のカウンセリングが必要な家族もいる。葬儀社を決めていないので、それを選ぶための情報を必要とする家族もいる。小さな子供も来ている事が多いので、その子たちが大丈夫か気を配る必要もある。

患者さんが亡くなってナースのケアは終わりにならない。現在、ある大学で、緩和ケアで患者さんが亡くなった後、ナースがどれぐらいの時間をどの様なケアに費やしているのかのリサーチが行われていて、うちのユニットでも協力している。

政府からの財源は、患者さんが亡くなった時間が退院の時間としてしか資金の計算をしてくれない。このリサーチの結果で、ナースがいかに死後も家族のケアに関わっているかが明らかになれば、少しは資金も増えるかもしれない。(希望的観測)

オーストラリアの葬儀社(Funeral Director)は、テレビでもコマーシャルがしょっちゅう流れている。

亡くなった後、葬儀社の選択とか、費用とかで家族に心配をかけないために、生前に葬儀の手配をしておきましょうというものも多い。

このPrearranged Funeralは、最近、患者さんの中にもしている人が多い。確かに、動転しているときに、葬儀社選びとか、その費用の心配とかをする必要もないので、なかなかいいシステムかもと思う。細かい事で家族の希望があれば、それは相談して入れられるのだから。

それから、こちらの葬儀社の中には、死別後の悲嘆のサポートを提供しているところもある。優れたパンフレットもたくさん作られていて、無料で提供されている。グリーフカウンセラーによるカウンセリングのサービスを提供しているところもある。これは、日本の葬儀社も是非取り入れられたらいいのにと思うことの一つだ。

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臨終のとき

夜爪を切ると親の死に目に会えないとかいう言葉があるぐらいで、日本人にとっては、親、もしくは他の家族の臨終に立ち会うことは大事と思われている。

オーストラリアに来て、緩和ケアで働いて、必ずしも誰もが臨終の場にいたいわけではないのだということを学んだ。

だから患者さんの様態が悪くて、夜中に死亡するかもしれないような時、連絡して欲しいかどうかを必ず聞くことにしている。

家族によっては、10時以降だったらもう電話しないで、葬儀社も決めてあるのでそちらに遺体を引き取ってもらって結構、翌朝連絡してもらえれば私物を取りに行きますと…。

別にこの家族が冷たい家族であるというわけではない。アングロサクソン系、或いは移民の一家だけれでもオーストラリアに長く住んで、こちらの生き方、物の考え方になじんでいるという人々にこのような反応が多いような気がする。一番大きな理由は、生きているときの顔を自分の記憶の中の最後の顔として残したいから…というものが多い。

とはいえ、最後に立ち会うことが重要と考える人のほうが圧倒的に多いことも事実、最後が近づくと泊り込む人もいる。多くの人は、変化があれば知らせてくださいという事で帰ることが多い。

前に記事で書いたKさんみたいに、何かが見える能力があれば、家族をいつ呼ぶかのタイミングの判断が絶妙にできるだろうにと思うけれども…、私たちは全身状態の観察によって、変化をキャッチして家族に連絡をする。

死に目に会えなかったという事がないように、私たちは大丈夫かもしれないけれども、でももう近いかもしれないというような時には、家族に連絡をする。確実な予測は誰にもできない事を断って…。

でも、夜中に駆けつけたけれども、又持ち直して、こんな事が何日も続いて家族も疲れ果てたケースも多々あった。こんな時、特に、夜勤をしている時、夜中の2時3時に状態に変化が起きた、家族を呼ぼうか、でも呼んで又前の晩みたいだと…、どうしようか…、迷う事が多い。このときの判断の決め手は、ナースとしての知識と経験、それにGut feeling,第六感とでも言うものに頼る事が多い。

それから家族の心の状態、今日か今日かと思いながら不安な時を過ごす中で、家族も心の準備がすっかりでき、早く安らかになって欲しい、意識のない今、死に目に会う事が絶対的に大事な事ではないのだという境地に達している家族であれば、ぎりぎりまで様子を見ることができる。

私は死が直前に迫っている場合の死期の予測であまり外れた事はない。一般的に経験の深いナースはあまり外れない。医師はどうかというと、結構外れる事が多い。前のホスピスで、死期の近い患者さんの死の時期をどう予測するか、医師とナースで調べてみた事があったが、医師は長すぎたり、短すぎたりでナースの方がはるかに正確だった。身体に触ってケアをしながらじっと観察をしている私たちナースは、なかなか言葉にはできないけれども、頭の中のコンピューターが確率計算をしているのだろうと思う。その結果がGut feelingかなと思う。

今後、どうして自分は、近いと思ったのか、その根拠となった観察事項、感じた事を記録してみるのもいいかもしれないな。より正確な予測のデータになるかもしれない。

私たちはいつも家族に、例え意識がなくても、聴覚や触感は最後まで残るといわれているから、話しかけたり、手を握ったりしてあげてくださいと説明する。

だから私も、意識のない患者さんに、
今家族を呼びましたからね。
30分位で来ますからね。
最後にもう一度会いたかったら待ってあげてくださいね。
その前に逝きたかったらそれでもいいですよ。
私がここにいますからね。
…とか、声をかけることにしている。

人が死の時を選ぶ事ができるものかどうかはわからない。
遠いところから家族がやってくるのを待ちわびていて、間に合わないのではないかと思うような状況で1日2日と持ちこたえて、待っていた人が来た後、まるで安心したように亡くなる人がいる。
逆に、家族が絶えず詰めているような患者さんでも、ちょっと病室を出た時間をみはかっらていたかのように、その時間に亡くなる人もいる。
死に目に会えなかった家族には、そういうこともよくあるんだと話すことにしている。
多くの家族が、あの人はプライベートな人だったから、一人で静かに逝きたかったのだろうとか、あの人は私たちを苦しめたくないから、私たちの来る前に逝ったのだろうとか、それなりに解釈をして、自分で自分を納得させているように思われることが多い。

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死後の世界、信じますか?

今月は夜勤、先日、相棒のスタッフが病気でナースバンクからのナースと二人での夜勤となった。

彼女はおしゃべり好き、彼女の家族構成やら、お母さんの病気の状況やら、お母さんをめぐる家族の人間関係やら、最初の30分ぐらいで全部わかってしまった!

その彼女、Kさんが、実は自分はとてもSensitiveなのだ、見えるのだといい始めた。SpiritとかGhostとかが見えてしまうのだと…
私があからさまに、あなた気が変じゃないのというような対応をしなかったので、彼女はぽつぽつ話し始めた。

変なものが見え始めたのはわりに最近の事、休憩でちょっと目を閉じると、様々な色の光とかが見えてきて、目がおかしくなったのかと思ったけど、検査しても異常はなかった。そのうちに、顔とか姿が見えてくるようになった。目を開けていても、妙なものが見えてくるようになった。怖くて、気持ちが悪くて、そんな時に同じような体験を持つ人たちのグループと知り合い、自分の身を守る方法を教えてもらって少し気が楽になったと…

?????と思いながら色々聞いてみた。
幽霊だのスピリットだのって、ここは緩和ケアユニットでたくさんの人が亡くなってるから、あなたにはぞろぞろ見えるってこと?

あちらのコーナーと、あそこの部屋のあたりと、それからあっちと、何かの色の光が見えるという。それはGhostで、彼女によると幽霊(Ghost)というのは、その人間が持っていたエネルギーの残像のようなもので、何かの光のように見えるという。
スピリットは、死んだのに、突然死で自分が死んだ事を自覚していないとか、後悔が多くて死を認められないとか、心残りが多すぎるとか、その他もろもろの理由で死者の世界に行けないで、そのあたりをうろうろしている、スピリットが見える人間に寄ってくるのだと…

(まるで映画Ghostとかシックス.センスじゃない…)

スピリットに助けを求められたら何かしてあげられるのかと聞いたら、一度亡くなった患者さんのスピリットが自分についてくるので、ここはあなたのいるところじゃないと言い聞かせて、それから自分の守護天使にこの人をこの人が行くべき世界に連れて行ってあげてとお願いしたら、それでいなくなったと…

それじゃ、誰かが亡くなりそうだとかもわかるのかと聞くと、大体はわかるという。
一度、休憩中に、死期の近い患者さんが(スピリットが)自分の目の前に寄ってきて、自分はあなたが休憩が終わって帰ってくる前に逝ってるから、**してくれてありがとうといわれた事がある。休憩を早めに切り上げて病室に戻ってみたら、その患者さんはもう亡くなっていたと…

前に別の病棟で勤務中、ある患者さんの輸液ポンプ、、経管栄養のポンプ、人工呼吸器とか、ありとあらゆる機械が、特に問題もないのにいっせいにアラームがなる事が何度もあって、彼女が行ってみると、何時間か前にそのベッドで亡くなった患者さんのスピリットが見えたと…

(空き部屋のナースコールが鳴るってたまにあるよなあ。何か説明のつく理由があるのだろうと私は思っててるけど…)

暇な夜だったので、Kさんに、ちょっと休憩してきたらという事になり、彼女はラウンジの暖炉の前のソファで足を伸ばして休憩する事になった。その彼女、一時間もたたないうちに戻ってきた。嫌に寒がって、毛布にすっぽり包まっている。おしゃべりも疲れたのか、ちょっと静かになった。

交代で私も休憩に行って戻ってきた明け方、彼女が、実は暖炉の前で座っていたら、老齢のやせた女性が寄ってきて、”そこは私の椅子よ”と言ったので、怖くなって戻ってきたのだという。誰か思い当たるか聞かれたが、該当する亡くなった患者さんでそんな人はいっぱいいるし、あの椅子がお気に入りだった人もいっぱいいるし…

私が休憩中にも、それは私の椅子よって言ってたのかもとか、だんだん薄気味悪くなってきて、時分の身を守るにはどうするのか聞くと、地面にしっかり足をつけて、毛布なり、コートなりに包まって、自分の守護天使に守ってくれるようお願いするのだという。誰にも守護天使はいるからと…

勤務の最初には暑いと半袖でいたのに、足元のストーブを最大にするといつの間にか彼女が弱にしてたのに、休憩後は、ジャケット着て、毛布かぶって、ストーブ最大にしてたのはそれで!

夜勤もあと少し、もうすぐ夜明け、でもまだ暗い、ちょっと離れた所にあるスタッフ用のトイレに行くのがちょっと怖くて、(彼女が怖がって行かなかったので)、熟睡中の猫のレオを無理矢理起こして抱っこして一緒にトイレに行ってもらった!
馬鹿らしいと思いながらも、“ここはあなたたちのいる所じゃないのよ、私は感じないし、見えないし、聞こえないし、ついて来ても無駄よ、ねえレオ”なんて猫と話しながら…(笑)

死後の世界があるのかないのか、あるとすればどんなものか、誰もわからないけれども、死んでしまえばさっさと、そのあるかないかわからない世界に行けると思ってたけど、この世とあの世の境目でうろうろする可能性も無きにしも非ず?
となると、自分が死ぬ時が来たら、いい事もありました、辛い事もありました、後悔する事もありました、でもこれが私の人生でこれでよかったんですと思って死ねたらいいなと思っている。
そしたら、あの世とこの世の狭間にトラップされる事もないだろうし!

患者さんに対してもきちんとケアを提供する事で、心身ともに安らかなに死を迎えられたなら、さまよう事も無くなるのかな?

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安らかな在宅での死

先日、在宅緩和ケアサービスからKさんが亡くなったと連絡が入った。翌日、娘さんがわざわざ持続注入機を返却にきてくれた。在宅のナースが返却してくれるのに、自分で返却に来たのは、私たちにお礼が言いたかったからと…

Kさんは87歳の男性で、2003年に大腸、直腸のがんがみつかり、手術、化学療法、放射線療法、2006年にはリンパ腫の診断、化学療法を受け、在宅緩和ケアサービスの援助の下自宅で暮らしていた。
ビルダーでがんの診断の後は引退して、治療、療養の合間の、調子のいい時には奥さんと旅行したりして暮らしていた。息子さんが一人、娘さんが二人、皆結婚して家庭を持っている。

最近、全身状態が悪化、下痢があり、頻繁にパッド交換をしている奥さんが疲れているし、体位変換中にベッドの角であばら骨を打って、ケアに支障をきたす痛みがあるとのこと、奥さんに少し休憩してもらうためのレスパイとケア目的で入院してきた。

水曜日に入院してきたKさん、本人はうとうとしている。奥さんは彼よりも若く、しゃきしゃきしたちょっときつい感じの人、ナースへの話し方も何だかつんけんしている。あなた達は何時間ごとにパッドを変えるの?と詰問口調で聞いてくる。

とりあえずみてみましょうという事で清拭の準備をしてパッドを開けてみるとびっくり、尿管と直腸の間に婁孔のできているKさん、尿道からは便汁混じりの尿が出ているし、肛門からは尿混じりの下痢便、ほぼ持続的に出ている。周辺の皮膚は糜爛状態になっている。そっと拭いても顔をしかめるKさん、全身の痛みはどうという事はないが、この痛みが一番辛いと言う。

家では2-3時間ごとにパッド交換をしていたとのこと、夜も時間が来ると自然に目が覚めるようになってしまったという奥さん、最初のちょっと難しそうな人というイメージは吹っ飛んで、私は奥さんの苦労をねぎらい、床ずれも作らずこれまでやってきたことを褒めていた。

とにかくこの糜爛部の痛みを抑えるため、Confeel dressingを貼り、それが貼れない所にはCritic creamを厚く塗って皮膚を保護し、2-3時間ごとにパッド交換する事にした。KさんはConfeelのお陰で痛みが無くなった喜んでいる。
グエンもすっかり信頼してくれたみたいで、言葉遣いも変わってきた。

下痢が続く限りは皮膚の状態の改善は望めないので、医師と相談して下痢の原因になっているかもしれない抗生物質の中止、
全身の痛みのコントロールのためにHydromorphone 2mgとHaloperidol1.5mgの持続皮下注を開始

きっちり2時間後に再度パッドのチェックに行くと、グエンは“あなたに任せておけば大丈夫ね。”と満足の様子、今日は早く帰ってゆっくり休んでねというと、ほっとした様子だった。

グエンの予定では、二日だけ休憩して、金曜日には退院したいという。在宅緩和ケアサービスのナースからは、グエンが無理をしすぎているみたいだ、もう少し入院したほうがいいと思うとのコメントがあった。

翌日木曜日、グエンとこのことについて話し合った。彼女は、自分は彼に二日だけと約束したから、この一週間の間の弱り方を見ていたらあまり時間は残っていないと思う、自分がゆっくり休憩をしている間に退院のタイミングを失う事になるのが心配だ、だから金曜日には予定通りつれて帰りたいと言う。
彼女へのサポートの体制を聞くと、子供たちが順番に泊まる体制を話し合っているとのこと、それなら、全面的にその方向でサポートしましょうという事になった。

まず、OTに連絡をして、至急病院用電動ベッドを自宅に金曜日の午前中にと届けることを手配した。家庭のベッドよりこのほうがグエンの負担を軽くする。

皮膚糜爛部のケアのために必要な材料を持ち帰り用にパックした。

体位変換用のトランスファーシートの使い方を、グエンに何回かナースと一緒にやってもらうことで覚えてもらった。

これからKさんに起こりうること、その対処法について話した。
婁孔があり、抗生物質も中止したので尿路感染が起こるだろうということ、悪寒、発熱、せん妄状態が起きるかもしれないという事、パニックに陥って救急車を呼んでも彼の安楽にはつながらないということ、悪寒時は温め、発熱には冷やして、可能ならアセトアミノフェンを内服か座薬で投与して、必要な薬は出してあるのでちょっとでも不安な事があればすぐに在宅緩和ケアサービスに連絡すれば夜中でも相談にのってくれるし、必要なら来てくれるからと言うことを念を押した。

死期の迫っている彼にこれから起こるであろう変化について話した。
緩和ケアビクトリアは患者さん、家族のための様々なパンフレットを出している。ユニットではこうしたパンフレットを誰でも欲しい人が取れるように置いてある。グエンは前日死に至るプロセスを手にとって見ていたので、そのパンフレットを中心に、質問に答えながら話を進めた。

グエンはしっかりと迫りくるご主人の死を受け止めていて、何よりも家が好きな人だったから、家で安らかに死なせてあげたい、これで今までよりも自信を持って彼のケアができる、色々サポートしてもらって本当にありがたいと言ってくれた。

グエンは家族、友人のサポートもあり、リスクは高くないが、死別後の悲嘆のサポートのパンフレットも渡した。

退院時に持って変える薬として、持続皮下注とレスキュー用のHydromorphone, Haloperidol, そして、死前不穏、せん妄のためのMidazoram, 死前喘鳴のためのGlycopyrrolateの注射薬が準備された。

在宅緩和ケアサービスに連絡、退院時間と持続皮下注の交換時間を知らせ、退院サマリー、持続皮下注の指示、必要時投与の薬剤のリストをファックスで送付した。

準備万端、Kさんは救急車で金曜日の午後に退院した。

そして、土曜日の午後に亡くなった。

娘さんの話によると、帰宅後、もう下痢はなくなったとのこと、少しだけど、水分は取れていたらしい。

土曜日、うとうとしていることが多い状態だったが、家族皆と一緒に大好きなオーストラリアンルールのフットボールを観戦している間に亡くなったとのこと、ひいきチームがそれまで負けていたのに、Kさんが息を引き取った後、挽回して勝ったとのはきっとお父さんがあちらで応援したからに違いないと皆で話したのだと娘さんが涙ながらに語ってくれた。

息を引き取った後も、皆でベッドを囲んで、とにかくやさしい人だったKさんの話をしながら、フットボールを見ながら、6時間過ごしたのだそうだ。

本当にいいお別れができたんだなあと嬉しかった。

グエンの退院のタイミングを失う事が怖いからという直感は当たっていた。何よりも彼女の気持ちを大事に考えて、大急ぎで退院の手はずを整えて送り出した。私たちの関わった時間は丸二日に過ぎないが、その二日が、Kさんを下痢から開放し、皮膚の糜爛による痛みから開放し、グエンが安心して自宅でKさんを看取ることに少しでも貢献できたと思うと、緩和ケアナース冥利に尽きるという思いであった。

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滅多に患者さんのお部屋に行く事はないのに、Kさんにはとてもなついて添い寝している事が多かったレオ、Kさんは特別動物好きでもないのに、やたらと犬、猫に慕われる事が多かったらしい。家族の言うように本当に穏やかなやさしい人だったのだろう。

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緩和ケアにおける栄養と水分

食と命は密接につながっている。
だから、患者さんが食べられなくなると、家族は、このままでは死んでしまうとパニックに近い反応を示す事が多い。

“点滴をしてください!”
“何とかして食べさせて!”
“病気のせいじゃなくて、飢え死にしてしまう!


中には、うつらうつらしている患者さんを無理矢理起こして、食べ物を口の中に押し込もうとする家族もいる。
嚥下機能が低下している患者さんに、無理矢理食べ物を口に押し込めば誤嚥して肺炎を起こす危険がある。

緩和ケアでは、食事と水分の補給に関して、とにかく辛抱強く、家族を教育していく事が何より大事な事になる。

食事が食べられなくなる、水分も取れなくなるというのは死に至る自然な過程だということ
食事は患者さんが食べたいと思うものを、食べたいと思うときに、食べたい量だけを
患者さんが楽しんで食べられるという事が一番大事なこと
水分は少しずつ頻繁にすすめるように
死が近くなったとき、身体はそれほど栄養を求めないし、飢餓感もないのだということ
無理に食べさせれば嘔気や嘔吐を引き起こしたり、誤嚥性肺炎を起こして反って患者さんを苦しめる事になるのだということ

オーストラリアでは病院食でも前日に自分の食べたいものをメニューから選ぶシステムになっている。
嚥下機能が低下している人には、やわらかいものや、すりつぶした状態の食事、飲みやすいようにとろみをつけたスープや飲み物を提供する。

患者さんの中には、頑固に、普通の形のある食事、一杯の熱いお茶が飲みたいのだという人もいる。
嚥下機能の専門家のSpeech pathologistが説明しても、リスクを承知した上で、一杯の熱いお茶を飲みたいのだという人には、勿論、患者さんの意思を尊重して、自由に飲みたいものを飲んでもらう。

食べなれた家庭の味なら食べれる人もいるから、キッチンも完備しているので、家族の持って来たスープを温めてすすめることもできる。
患者さんが飲めるならば栄養のバランスのいいサプリメントをすすめる。家のユニットでは夕食前にはドリンクを乗せたワゴンが回ってきて、ワインやビールなどのアルコール飲料も欲しい人には提供する。

食べたくないという人に無理矢理すすめる事はしない。
水分はこまめに一口ずつでも飲めるならばすすめる。

殆ど食べられなくなって、水分もあまり取れなくなるという事は死が近づいているという一つの指標になる。
IVHとか経管栄養を開始するという事は全くない。

どのステージでも口腔内のケアは必須である。
やわらかい歯ブラシで、或いは綿棒で定期的に口腔内をきれいにする。
義歯があれば必ず取り出してきれいにする。
さまざまな口腔ケア用の薬品があるが、口内炎がなければ、薬品を使う必要はなく、水でも充分、とにかく頻繁に口腔のケアをするということが大事との
研究結果が報告されている。
口腔内、口唇をいつも潤った状態に保つ事で口渇もおさえられる。


輸液をする事が患者さんの安楽につながる可能性があるならば稀にすることもある。
家族の懇願で試験的に輸液を試みる事もある。

生理食塩水を500ml、或いは1000ml、ルートは皮下中で夜間にゆっくりとか、一日かけて投与する。
日本では経験がなかったので、皮下輸液では点滴が漏れるようなもので痛いのではないだろうかと感じたが、痛みを訴えた人はいない。
翼状針を腹部に固定して行う。
静脈のルートと違って、患者さんの動きを制限する必要ない。


(緩和ケアではイギリス、カナダ、アメリカ等、どこでも殆どの注射による薬剤の投与は皮下注射で行っているが、効果には差がないことが確認されている。)


患者さんの呼吸音が少しでもぜいぜいし始めたら、家族にこのまま続ければ反って呼吸を苦しくする事になるからと説明して、ナースの判断で中止する。
家族も目の前で証拠を見ると納得する事が多い。

緩和ケアユニットに入院している患者さんの家族は、患者さんの死が間近に迫っているということは理解しているが、死に至る過程で、食事も水分もだんだんと取れなくなる、それが自然の過程であるということをすんなりと受け止められる人はあまりいない。

家族の気持ちを考慮しながら辛抱強く教育していくことは、時間もかかるし、動揺した家族にナースが怠慢で患者さんに食事を食べさせないように言われたりする事もざらで、精神的エネルギーも必要になってくる。

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ドリーのご主人

前に書いたドリーの想いでの、ドリーのご主人、グレッグが、今日ユニットを訪問してくれた。
スタッフの皆にとバスケットにいろんなものを詰めて持ってきてくれた。
丁度、午前中のスタッフも、午後のスタッフもいる時間だったので、皆で入れ替わり立ち代り、“どう元気にしてる?’と声をかけに行った。


彼は、ここは自分にとってとても特別な場所、ほっとすると言いながらも、色々な事が又新たによみがえるのだろう、泣きながら色々な想いで話をした。
薔薇の剪定の話も出た。“あの時は、彼女、本当に生き生き頑張ったよね。”


グレッグは、ドリーがここに入院する前は、緩和ケアユニットなんて死ぬところだから嫌だと随分抵抗し、もう二人で一緒に死のうか、モルヒネは手元にあるし、とも随分思ったけど、できなかった...
でも、ここに来て、彼女も落ち着き、死の前にグレッグに、自分はここに来て心の中に平安をみつけた、もう死ぬ事が怖くなくなった、心の準備ができたと彼に話したとのこと


彼はリタイヤメントビレッジに住んでいるが、毎日、家事も自分でやり、掃除もしの生活、でも周りの人も助けてくれるので、大丈夫だと
喋り方も、歩き方も元気で91歳には見えない


こうして家族の方が時々、スタッフの顔を見に来てくれたり、亡くなった後、自分たちの悲しみにうちひしがれているだろうに、スタッフに丁寧なお礼のカードを送ってくれたりすると、こういう仕事をしていてよかったと思う。


家族の中には、ひどい家族もいっぱいいて、そのためのストレスで仕事に行くのがいやになるような人もいる。
一生懸命やっても、絶え間ない要求と文句ばっかり
ケアをする心や、思いやる心が少しずつそがれていくようなやるせない思いになる時がある


でも、そういう時には、意識して、御礼の手紙やカードを読み返して元気をだそう。

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イースター

今、オーストラリアはイースターで金曜日から月曜日まで祝日
イースターは移動祝日
イースターにあまり馴染みのない日本人には良くわからないが
春分の日の後の最初の満月から最初の日曜日がイースター
イエス. キリストの復活した日
金曜日はキリストが十字架にかけられた日でGood Friday


東方正教会(ギリシャ正教)では、イースターの日の計算方法が違うらしく、別の日になる事が多いが、今年はたまたま一緒だとのこと


カトリックの人は金曜日は絶食の日
何にも食べないかというとそうではなく、肉を食べない、魚はいいのだそうだ
病院食のメニューにも必ず魚料理が入っている
カトリックでも、別にこだわらず肉を食べる人もいる


イースターといえばイースターエッグ
オーストラリアでは、昔ながらにゆで卵にきれいに彩色してなんて事はもうしないらしい
もっぱら色とりどりのアルミニウムフォイルで包んだ卵形のチョコレートとかウサギの形のチョコレート
お菓子屋さんにとっての稼ぎ時か


ギリシャ正教の人は今でもゆで卵に彩色する
全部赤色
いっぱい作って、ハッピーイースターと言ながら卵をぶつけ合って壊れなかったほうが勝ちとのこと


この時期、病棟には卵がごろごろ


そんなイースターの今日
イスラム教の患者さんが亡くなられた
イスラム教では、遺体は速やかに次の日の夜明けの前に埋葬するしきたり
本来なら今夜中に埋葬するべきなのだが
イースターの祝日でお墓を掘る人もいないし、掘ることもできないとか
何とか色々あたってみるとのことだったが...


さまざまな宗教、人種の入り混じって暮らしている国
それぞれの文化を尊重したケアを提供する事はとても大切
日本という国は本当にこういう面では単一な国なんだなあとつくづく感じる事多し


でも豊田市のある小学校では新一年生の50パーセント以上が外国籍(主にブラジル)の子供とか、日本も変わりつつあるんでしょうか?





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ドリーの想いで

庭の薔薇がもう盛りを過ぎて散り始めたので、剪定ばさみを持ち出して、枝を刈り込んでいく。
枝分かれしたところから、葉っぱを三枚残したところで斜めにカットする。
こうすると薔薇は又芽を出して、二度咲き、三度咲きを楽しめる。
これは、前に入院していた患者さんのドリーが教えてくれた事、薔薇の剪定をするたびに想いだす。


ドリーは、78歳の子宮がんの患者さんだった。
彼女は、下腹部の不快感のため、GP(一般開業医)のもとへ何度も通ったが、GPの答えはいつも同じ、調べても何もない、最後には、精神的な要因が症状を起こしてるのではないかとまで言われた。


そして一年後、突然、子宮がんがみつかったと...
子宮の摘出手術をすれば大丈夫と、プライベイトの病院で手術を受けた。
麻酔から、目が醒めたら医師から、開腹してみたら進行していて手がつけられなかった、人工肛門(Ileostomy)を造ったからと告げられた。


退院後は家に帰り、在宅緩和ケアサービスに紹介された。
家では、彼女より年上、90歳のご主人、グレッグがケアにあたっていた。


在宅緩和ケアサービスから病棟に連絡があった。
身体的には痛みもコントロールされているし、問題はないけれども、極度の精神的苦痛、不安、ストレスで専門的な介入が必要だと、本人は緩和ケアユニットへの入院を拒否しているが、気長に説得をしているところだと...

彼女の病歴を聞いて、私たちスタッフもショックを受けた。
こんな事があるなんて、こんなGP訴えても気がすまないよね等々


入院してきた彼女は、きちんとおしゃれな服を着て、歩き方もしっかりしている。
でも、スタッフと話をし始めると、もう私はどうしていいかわからない、どうしてこんな事になったのかわからない、良くなりたい、ノーマルな生活を取り戻したい、頭の中に洗濯機が回ってるみたい、どうしたらいいの?
そして、頻繁にパニックアタックを起こし、過呼吸、嘔吐という状況になる。


精神科医もすぐに関わったが、これが彼女にとっては余計にストレスになり、もう二度とあの精神科医には来てほしくないと言う。


私たちは、とにかく彼女に思いやりのある態度で接し、身体的なケアをていねいに提供するということから始めた。
数日のうちに、彼女もユニットに慣れ、ここにいるととても安心とスタッフに話すようになった。
痛みは、アセトアミノフェン1gを一日4回、オキシコンチン10mgを一日2回でコントロールできていた。
抗うつ剤も開始した。


そうこうするうちに、彼女は、毎日、やってくるご主人グレッグを何かと突き放すようになってきた。
彼は、私ができる事でも何でも自分でやってしまって、私は余計役立たずに感じていらいらする、私は赤ん坊じゃないのに、明日は来ないでって言ったのとか...


これはグレッグにとってはとても辛い事だった。
二人はとても仲の良い夫婦で、ドリーが何かとてきぱきと物事を決めてやってきた。
二人とも、先に死ぬのはグレッグと思っていた。
こんな事になって、彼女が望む事は何でもしてあげたいけれども、彼女が精神的にもう少し落ち着かない事には、自分ではもうどうする事もできなくなってしまったと...


ドリーは私たちのケアにすっかり安心して身を任せているという感じで、パニックアタックの回数も減ってきたが、自分はてきぱきとした人間だったのに、こんな役立たずの何にもできない人間になってしまった、私は一体、どうなったの?という思いが無くなったわけではない。
彼女はまだ体力もあるし、ストーマのケアとか充分できる状態にあるが、ナースがやってくれるからと、だんだん、お任せ状態になってきている。


彼女とグレッグにとっての最上のQOLを考えたら、彼女にもっと自分でできる事はこんなにあるんだと自信を持たせて、残された少ない時間をたとえわずかな時間でも、グレッグと外出するとか、家に週末に帰るとか、いずれは退院とかできないだろうかということが、チームミーティングで話し合われた。


急がず、ゆっくり、でも、やさしく励ましながら、自分でできる事を自分でさせるように援助しよう、普通の世間話とか、彼女の楽しめることとか、そういったものをもっと生活の中に取り込んでいこう、グレッグとも話し合って、頼まれる前に何でも彼がしてしまわないように


こうして彼女のケアは緩やかな方向転換をしていった。
彼女も、少しずつ、自信を取り戻しているようだった。
そんなある日、彼女の趣味のガーデニングの話になった。
グレッグも加わって、あの薔薇が咲き始めたとか、自宅の庭の自慢話も出てきた。


そこである日、私は自宅から剪定ばさみを持って仕事に行った。
その日は、ユニットも落ち着いて充分時間もある
お昼寝の後、ドリーに
“病室の前の庭の薔薇がもう剪定しないといけない時期になってるから、私やろうと思うんだけれど、ドリーは詳しいでしょう。庭に出て、私にどこを切ったらいいか教えてくれない?”
と頼むと、彼女は喜んでOKしてくれた。


庭で椅子に座って私に、
“枝分かれしたところから三枚葉っぱを残してカットして”
“駄目駄目、斜めにカットするのよ”
そのうちに立ち上がって
“ちょっと貸して”
と、私から剪定ばさみを取り上げて、自分でカットし始めた。


私は予想以上の効果ににっこり
彼女が疲れすぎないように観察しながら、グレッグと二人で、ドリーがバサバサとカットしていく枝を拾い集めて、ゴミ袋に詰めていった。
大胆にカットしていくドリー、この枝は元気がないから、もとからばっさり切ったほうがいいのよと


そのうちに、隣の病室のホリーと家族も出てきて、和気藹々と喋りながら30分、薔薇もすっかりきれいに散髪が済んだ。
ドリーは、こんな表情は見た事がないというぐらい明るい笑顔で
“本当に人使いの荒い病院よね”
“こんなに楽しい思いをしたのは病気になってから初めて”


それからしばらくは、病室に来る人誰にでも、私があの薔薇の剪定をしたのよ、楽しかったわと明るく話すし
そのことがきっかけになって隣の病室のホリーと仲良くなって
二人で、夜遅くまで話している姿を見かけるようになった。


ホリーとの友情は彼女に大きな影響を与えたようだ。
ホリーはまだ40歳の若さ
肝臓がんの末期でいつ死が訪れてもおかしくないというぐらいの状態だった。
彼女には、18歳の身体障害のある息子もいた。


病気になってから、人工肛門なんかがあるような身体で、誰にも会いたくないと、友人も、近所の人も、姉妹や娘すらも遠ざけていたドリーだったが、少しずつ、ビジターも受け入れるようになってきた。
グレッグに対しても八つ当たりする事がなくなったし
グレッグがどんなに自分の支えになっているか、ありがたいと私たちスタッフに、度々話すようになった。


でも、それと同時に、どんどん体力も衰えてきて
一週間後にホリーが亡くなり
その又一週間後にドリーも亡くなった。
結局、家に帰ることはできなかったが、最後はとても安らかだった。
グレッグも家族も、ドリーはここのユニットに来て本当に初めて安心する事ができたから、ここで死を迎える事ができてよかったと私たちに語った。


忘れられない患者さんの一人だ。

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日本からの訪問者

今日は午後からの仕事
メルボルンにある語学学校から日本のナース、看護学生、薬科大学学生等のグループのユニット見学があった。


うちのユニットにはいろいろな訪問者が多い。


短い時間でどれだけのことが伝えられるかわからないけれども
皆若いし、これからどんな事でもできる可能性は無限にあるから
いろんなことにチャレンジしてほしいと思った。
仕事だけじゃなくて

今日いらしてくださった方
質問とかあったらコメントでもメールででもしてください。


うちの猫たちは訪問者にはいつもすごい人気
自分たちも注目されるのが嬉しいみたいです。
皆さんが帰った後もずっとはしゃいでいました。


説明の足りなかった分、このBlogを読んでください。

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笑っちゃいけないけど笑ってしまった話

オーストラリアは他民族が入り混じって暮らしている国
緩和ケアユニットの患者さんもいろいろ
何しろ、この国の人口の半分は
外国から来てる人か
両親のどちらかが外国から来ている人


患者さんが英語が全くわからない、喋れない
なんて事もしょっちゅうあります。


前に勤務していた緩和ケアユニットでの話


その日、Mr Yangが入院予定になっていました。
昼ごろにやってきました。
救急車で来たのですがしゃんしゃんと歩けてます。
中国人できちんとスーツを着て、奥さんらしい人も一緒
ハンドバッグだけで荷物はなし


入院の担当はフィロミーナ
Mr Yangですねと確認すると英語は喋れないようだけれどもそうだとうなずく


あなたのお部屋はこちらですよと案内すると
”Syaammuni Kycyauna *~”
何かいうのだけれどわからない


とにかく一旦お部屋に
それから通訳を呼びましょうと
何とかお部屋に連れて行くフィロミーナ


Mr Yangはまだ何かを興奮気味に喋り続けている。
“Chauchiaukannmo... yaaney!!”


スーツじゃ窮屈よね
病院のパジャマ貸してあげるから着替えてとフィロミーナ


Mr Yangはもっと興奮して
“Quinchauga!!! Pinkonng!!!”
それでもフィロミーナは何とかMr Yangを着替えさせた。


ナース センターに戻って
とにかく通訳を早く送ってと依頼
2時間後、病院の通訳がやってきた。


そこでわかった事は
Mr Yangは患者さんではなかった!
飲茶に行く予定でタクシーを待っていたら
救急車が来て
r Yangかと聞くからそうだと答えたら
救急車に乗せられて、ここに連れてこらられたと...


Oh my God!


それからが大変
平謝りに謝って(病院のせいじゃないんだけど)
もう、飲茶には間に合わないから
給食に無理を言ってお願いして
Mr Yangと奥さんの分のランチを差し上げて
タクシー券をお渡ししてお帰りいただきました。


後でわかったことによると
患者さんのMr Yangは一軒隣の人
その人は確かに救急車が要る重症
待っても待っても救急車が来ないから怒ってたと...


救急車のドライバーが住所をよく確認せず
Mr Yangという名前の確認だけでピックアップしたというミス


あんなに元気でおかしいと思わなかったの?
と、当然聞かれたフィロミーナ


“そりゃ思ったわよ
でも救急車のドライバーも本人もMr Yangだって言うんだもん”


嘘のような話ですが本当にあった話です。
飲茶を食べそこね、代わりに病院食を食べて帰ったMr Yang
一家に伝わる笑い話にしてくれてたらいいんですが...


皆さんも、外国にいったら、うかうかとよくわからないお迎えの車になど乗らないように。

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ちょっと振り返ってみる時間

今日は、暦の上では秋だというのに、暑くて、湿度も高くて、不快な一日だった。

職場で、午後に一時間、午前中のスタッフと午後のスタッフがオーバーラップしている時間帯を利用して、Reflectionの時間を一時間設けている。

Reflectionは臨床パストラルケアワーカーが進行役になり、スタッフは自由参加
一時間、静かに瞑想したり、この一週間を振り返って、ストレスに感じたこととか、嬉しかったこととか、悲しかったこととか、そのほか何でも、皆と共有したいと思うことを自由に話す機会である。

緩和ケアユニットで働いているということは、年間300人以上の方が亡くなる訳だから、普通の人に比べれば比較にならない位、日常的に死に直面しているということになる。

ユニットに勤めて間もないスタッフの一人は、ここで働くことで、改めて、自分の命も有限であるということ、いつか死ぬということ、そして自分が老いつつあるということを否が応でも考えざるを得なくなったと...語った。

緩和ケアで働いている多くのナースは、ある共通した人生哲学を持っているような気がする。
人の命はもろく、限りがあり、先の予測はできず、だからこそ、今を大切にすること、
健康な身体、特にドラマティックなことも無い平凡な毎日、それをありがたいと思うこと
そんな、共通した人生態度があるように思う。

それから、もう一つ、共通していること
皆、自分が緩和ケアの患者になったら、きっと最悪の患者になるだろうと思っていること
冗談半分だけれども、結構本当かも...

仕事で多くの人の死に様に接していても、自分の番が来たら、どうなるかはわからない。

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猫は夜勤がお好き?

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Leo & Poly

私の勤務する緩和ケアユニットには二匹の猫がすんでいる。
私は猫アレルギーだけど
この子達は大丈夫
アレルギーフリーのデボンレックス
クリーム色のが男の子でLeo
黒いのが女の子でPoly

私は一ヶ月の夜勤の月がやっと終わったところ
夜勤は好きではない
何だか世間の生活から切り離されたような気になる。
夜、仕事に出かけて、10時間半働いて
朝、仕事から帰って、寝て、起きて食べて、又仕事

でもこの猫たちのおかげでいやな夜勤が少し楽になる。
申し送りの時間、Leoが待ってましたとばかりに
ひざに飛び乗ってくる。
お尻のあたりをリズム良くたたいてもらうのが好き
Roundになると、二匹でとことこついてくる。
昼間は縫いぐるみかと間違われるぐらいによく寝てるのに
夜はやたらと元気
夜勤が好きみたいです!

Polyは食いしん坊で、ツナが大好き
私の夜食のツナ缶入り焼き飯のにおいを嗅ぎつけて
バッグをゴソゴソ
おねだりのニャーニャー
猫パンチで催促
まだ駄目よと制すると爪をたてられた!

この猫たち、患者さんや家族の癒しにもなってるけれども
それよりも何よりも、スタッフを癒してくれる。
むしゃくしゃした時、腹が立ったとき、いらいらした時、
猫をなでて話しかけたりしていると
不思議に気持ちが落ち着くのです。

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